2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

1928、「~の~」佐保能山(955)、香椎乃滷(かた)(957)、三笠乃山(980)、恐乃坂(1022)、四泥能埼(1031)、布當乃原(1050)、鹿脊之山(1056、1057)、三犬女乃浦(1065)、見宿女乃浦(1066)、大和太乃濱(1067)、病足之川(1100)、夢乃和太(…

1927、「~の~」智可能岫(894)、御舟乃山(907)、秋津乃川(911)、三船之山(914)、吉野之河(916)、味経乃原(928)、松帆乃浦(935)、船瀬之濱(937)、大海乃原(938)、藤井乃浦(938)、藤江乃浦(939)、辛荷乃嶋(942、943)、淡路乃嶋(946…

1926、「~の~」三香乃原(546)、明日香乃河(626)、痛背乃河(643)、網兒之山(662)、佐保乃河門(715)、竹田之原(760)、故布乃波良(813)、紀能夜麻(823)、麻都良能可波(858)、麻都良乃于良(865)「~が~」 「の」を読み添えするもの。城山…

1925、「~の~」始瀬乃山(420)、振乃山(422)、美保乃浦廻(434)、清之河(437)、佐保乃山邊(460)、鳥籠之山(487)、真野之浦(490)、見津乃濱邊(509)、家乃嶋(509)、隱之山(511)、佐保乃河瀬(526)、佐保乃河門(528)、妹背乃山(544)、…

1924、「~の~」倉橋乃山(290)、勢能山(291)、浄見乃埼(296)、田兒之浦(318)、布士能嶺(321)、明石之浦(326)、津乎能埼(352)、高城乃山(353)、縄乃浦(354)、阿倍乃嶋(359)、角鹿乃濱(366)、御笠乃山(372)、三笠乃山(373)、笠乃山…

1923、「~の~」真神之原、百濟之原(199)、畝火乃山(207)、羽易乃山(210)、引手乃山(212)、狭岑之嶋(220)、作美乃山(221)、三船乃山(242、243)、御船乃山(244)、野坂乃浦(246)、野嶋之埼(250)、野島之前(251)、藤江之浦(252)、藤江…

1922、「~の~」泉乃河(50)、吉野乃山(52)、高師能濱(66)、泊瀬乃川(79)、淺鹿乃浦(121)、丹生乃河(130)、辛乃埼、渡乃山、屋上乃山(135)、勾乃池(170)明日香乃河(194、196)「~が~」藤井我原(52)「の」を読み添えするもの。泊瀬山(4…

地名の「の」「が」

1921、地名の「~が~」「~の~」。古代の固有名詞には、「~」だけでなく、間に「が」「の」を入れたのが多い(今でも捜せば紀ノ川などいろいろある。)。その違いについては辞典などにも説明されているが、一度全用例を見てみたい。巻1「の」が略せない…

1920、3289少し分かりにくそうな歌なので、阿蘇全歌講義の訳だけを引いてみる。三二八九 み佩かしの、その剣の池の蓮の葉に溜まっている水のように、どうしてよいかわからず、頼りない思いでいた時に、逢おうと思って逢ったあなたのことを、共寝をしてはいけ…

1919、3289豊田八十代、萬葉地理考、全釈と同じ。大井重二郎、萬葉集大和歌枕考、全釈と同じ。奥野健治、萬葉大和志考、剣池は通説通り、清澄池は不明。どちらも資料紹介のみ。北島葭江、萬葉集大和地誌、剣池は石川精舎の近くで、名前からも、霊地として神…

1918、3289集成、全釈と同じ。全訳注、地理説明なし。全注、剣池は通説通り。清澄池は未詳。高樋説、剣池の言い換え(論究)説を出す。新全集、全注と同じ。釈注、剣池は通説通り。清澄池は未詳。和歌大系、私注とほぼ同じ。新大系、剣池は通説通り。清澄池…

1916、3289仙覚抄、ツルキノイケ、大和國。キヨスミノイケ、同。管見、つるきノ池は、大和に有。應神天皇…、此池を…。清隅の池 …和洲ニ有。拾穂抄、仙覚の引用。代精・代初、劔池ハ應神紀云。…開化紀云…。諸陵式…。舒明紀云…。皇極紀云…。清隅池も高市郡…。…

巻13-3289、剣池の蓮

1915、巻16は勝間田池だけ。巻17以降は、越中が多い。越中は関西以外では一番たくさん行ったところだ(長野はアルプスは何度も行ったが平地はあまり知らない)。布勢の湖跡も行った。富山市内も親近感がある。城跡や神通川など。黒部川の廊下も行ったし…

1914、3835例の七条大池から、少し南下すれば郡山市内になり、さらに少し南下すれば、もう郡山城になる。その南端は、近鉄郡山駅から西へ富雄川に向かったとき、学園前あたりから延々と延びてきた丘陵が、崖状に平野につながっているので、よく分かる。その…

1913、3835判で押したような同じような注が多いのは、要するに実地踏査をせずに、地名辞書あたりを写してくるからである。東京の人間が奈良県の万葉故地すべてを見て回ることはなかなか出来るものではない。私にしても新潟岐阜愛知以東の万葉故地などは富士…

1912、3835高木総釈、生駒郡都跡村にある池。全註釈、カツマタノ池は、奈良市の西方六條町に殘つている。窪田評釈、生駒郡都跡村字六条に残ってゐた薬師寺の西方にあたる大池かといわれている。佐佐木評釈、平城京の左京六條にあつた池で、藥師寺に近い。私…

1911、3835仙覚抄、勝間田池、下總國。拾穂抄、かつまたの池は奈良の西京薬師の跡を申傳たり云々能因哥枕には下総にも美作にも入尤不審彼邊の案内知人申侍しは彼寺の近き程に侍とそ代精・代初、紛ナク奈良ノ京ノ内ナリ、袖中抄…奈良西京薬師寺ノ跡…薬師寺ノ…

巻16-3835、勝間田池

1910、巻13は終わりといった3326から更に3333が加わったが、本当にこれで終わり。巻14は東歌で、関西人の私には無縁の地である。巻15も新羅への瀬戸内の歌と越前ではほとんど言うことがなさそうだが、どうだろうか。ただし越前は関西圏で何度も行った…

1909、この4首のうち題詞のあるのを見ると、題詞に惑わされる感じもある。長屋王が奈良山で馬をとめてとあると、普通は、佐保を出発して奈良山の峠で、となる。草香山とあれば、難波を出立して草香山で一服してとなる。しかし、歌の内容と必ずしも一致して…

1908、300 長屋王駐馬寧樂山作歌二首佐保過而 寧樂乃手祭爾 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣1428 草香山歌一首忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晩爾 吾越來者 山毛世爾 咲有馬酔木乃 不悪 君乎何時 徃而早將見3237 或本歌曰緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 …

1907、3237集成、奈良山を通り過ぎて… 全訳注、青丹よき奈良山を過ぎて…曾倉全注、あおによし奈良山を過ぎて… 大和の人が北方へ旅をする時、奈良山を越えて大和国を離れ、逢坂山を越えて畿外に出る。境の山を越える(過ぎる)ことは心理的にも信仰的にも意味…

1906、3237口訳、奈良の山を過つて、宇治川を渡つて…全釈、(緑丹青)奈良山ヲ過ギテ、(物部之)宇治川ヲ…齋藤総釈、奈良山を過ぎて…全註釈、美しい奈良山を通り、…窪田評釈、あおによし奈良山を過ぎて、…佐佐木評釈、奈良山を過ぎて、…私注、アヲニヨシ(…

1905、1674▼あの方の 使いが来るかと 出で立つという 出立の この松原を 今日通り過ぎるだろうか1740▼春の日の…海の果てを 過ぎて漕いで行くうちに…1998▼わたしの恋を 夫は知っているのに 行く舟が 通り過ぎてよいものか 言づてでもしてほしい3240▼天皇の…過…

1904、昨日の例の中で、「行き過ぎ」「越え過ぎ」はあきらかに通過の意味なのでそれを除く。ただし佐保の内の里を行き過ぎ(3957)はすこし検討を要する。次に、「過ぎ(て)行(来)」には、通過する意味と思われるのがある。我家の門を過ぎて行くらむ(240…

1903、佐保過ぎて、難波を過ぎて、大和を過ぎて、の3つについて、同じ表現形式なのに、いろいろ説が分かれるのを見た(中には、一つの注釈書の中で説が分かれるのもあった)。残りの、「過ぎ」の用例を見る。松原を今日か過ぎなむ(1674)、杏人の浜を過ぐ…

1902、3333番の「大和を過ぎて」の注釈とほとんど同じ。1、ただ、直訳的に、「過ぎて」と訳して、説明もなにもしないもの。佐佐木評釈、大系、全訳注、多田全解2、通過して(通りすぎて)とするもの。口訳、講義、全釈、総釈、全註釈、窪田評釈、集成、新全…

1900~1901○佐保過ぎて、の沢瀉の注釈。口譯、佐保過ぎて…。新考に…二・一三六の「過ぎて」と同じく「遠ざかる事なり」とあるやうに、後にして去るといふ意味にも用ゐられ、…確かな事は決定し難い。 訳に「過ぎて」とあるように、歯切れが悪い。新考の説も、…

「過ぎ」の用例(途中まで)及び、難波を過ぎて草香山

1895~1899 春過ぎて夏來るらし(28)、黄葉の過ぎにし君(47)、嘆きもいまだ過ぎぬに(199)、過ぎむと思へや(199)、黄葉の過ぎて去にき(207)、過ぎにし子らが(217)、過ぎにけらずや(221)、行き過ぎかたき秋山を(106)、妹があたりを過ぎて來にける(136)、越智野…

1894大和を通り過ぎ、を文字どおり、通過してという意味に取るには、防人が東国で徴集され、妻が夫の旅程を想像し(同伴で難波まで行ってもいい)、夫の訃報を受けて長歌を作ったとするのが、一番無理がない。なぜ東国での長歌が万葉集に載ったかはもちろん…

万葉巻13、3333番、大和を過ぎて

1891~1893○3333王之 御命恐 秋津嶋 倭雄過而 大伴之 御津之濱邊從 大舟爾 眞梶繁貫 旦名伎爾 水手之音爲乍 夕名寸爾 梶音爲乍 行師君 何時來座登 大卜置而 齊度爾 狂言哉 人之言釣 我心 盡之山之 黄葉之 散過去常 公之正香乎 大君の 命畏み 蜻蛉島 大和を過…