1912、3835
高木総釈、生駒郡都跡村にある池。
全註釈、カツマタノ池は、奈良市の西方六條町に殘つている。
窪田評釈、生駒郡都跡村字六条に残ってゐた薬師寺の西方にあたる大池かといわれている。
佐佐木評釈、平城京の左京六條にあつた池で、藥師寺に近い。
私注、薬師寺付近であろう。
大系、奈良市西の京町(旧、都跡村大字六条砂村)にあるとする説。薬師寺の南西にある七条大池とする説などがある。→補注(三説紹介する)。今はない。
注釈、所在地不明とし、万葉地理書を多数引用しているが結論は出さず。
全集、奈良市五条町の唐招提寺ないしその南の西ノ京町薬師寺周辺にあった池の名。
集成、平城京域、薬師寺付近にあった池。
全訳注、所在不明。一説に薬師寺西の大池
新全集、奈良市五條町の唐招提寺の近くにあった池。現在、近鉄京都線を挟んで、薬師寺の西にある大池をこれに擬する説があるが、信じ難い。 ひどい間違いだ。近鉄京都線の近くに薬師寺はない(橿原線だ)。これではだれも信用しない。
釈注、平城京域、奈良市五条町の唐招提寺付近にあった池といわれている。
和歌大系、唐招提寺付近にあった池かともいわれる。
新大系、所在地未詳。
阿蘇全歌講義、通称七条大池を薬師寺では勝間田の池と伝えている。
多田全解、所在地詳。唐招提寺薬師寺付近か。
最近のはおおかた、過去形で説明し、現在は不明とする。要するに新田部親王の邸のあった近くということで、歌や六国史から分かる以上のことは言えないということである。それにしても、もう70年以上も近鉄橿原線西大寺橿原神宮前京都線は、西大寺~京都)と呼ばれているものを近鉄京都線というとはとんだ地理知らずだ。