1919、3289
豊田八十代、萬葉地理考、全釈と同じ。
大井重二郎、萬葉集大和歌枕考、全釈と同じ。
奥野健治、萬葉大和志考、剣池は通説通り、清澄池は不明。どちらも資料紹介のみ。
北島葭江、萬葉集大和地誌、剣池は石川精舎の近くで、名前からも、霊地として神秘的に見られていたと思われる。清澄池は普通名詞か。
阪口保、萬葉集大和地理辭典、剣池は通説通り。清澄池は未詳。
犬養孝、万葉の旅(上)、私注とほぼ同じ。
付記、松岡論究、清隅之池…。添上郡五ケ谷村大字高樋に清澄と稱せられる池があるといふことであるが、此は必しも固有名詞ではなく、池水の清澄なることによつて負はせた名と思はれるから、初頭に敍した劔池のことでも有り得る。
論究の説に賛成する説が一、二あったが、これはおかしい。蓮というのは、底が泥で、すこし濁った感じの池に生えるものであって、底までくっきりと見えるような澄み切った池には生えないものである。
蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(僧正遍照)(古今集巻三夏歌165)
はあまりにも有名だ。歌の中身はともかく、万葉の場合も、蓮の生える剣池を清く澄んだ池とは言えないだろう。万葉の時代には剣池は作られてから相当年代がたっているから、泥池で蓮が一面に生える池だったのだろう。蓮の生える古池などは私が子どもだったころは、家から数分の所にもあって、ありふれたものだった。今はありえない眺めになってしまった(自然破壊だらけ、もううんざりだ)。