「過ぎ」の用例(途中まで)及び、難波を過ぎて草香山

1895~1899

春過ぎて夏來るらし(28)、黄葉の過ぎにし君(47)、嘆きもいまだ過ぎぬに(199)、過ぎむと思へや(199)、黄葉の過ぎて去にき(207)、過ぎにし子らが(217)、過ぎにけらずや(221)、
行き過ぎかたき秋山を(106)、妹があたりを過ぎて來にける(136)、越智野過ぎ行く(195)、敏馬を過ぎて(250)、行き過ぎかてに(253)、磐余も過ぎず(282)、佐保過ぎて奈良の(300)
上が時間、下が空間の例である。ここまでのところ何故か人麻呂が非常に多い。それはともかく、空間の方は、みなある地点を通過することで、ある地点をあとにして出立するといった意味のはない。

○空間以外の例は略した。
煙…行き過ぎかねて(354)、この崎をひとり過ぐれば(450)、山の際に行き過ぎぬれば(481)、淡路を過ぎ粟島を(509)、稻日都麻浦廻を過ぎて(509)、たなびく雲の過ぐ(693)、百重山越えて過ぎ行き(886)、淡路の野島も過ぎ(942)、児島を過ぎて(967)、大崎の…過ぐと(1023)、百舟の過ぎて行く(1066)、鹿島の崎を…過ぎてや(1174)、印南野は行き過ぎ(1178)、淡路島見ずか過ぎ(1180)、名児江の浜辺過ぎ(1190)、足代過ぎて糸鹿(1212)、鐘の岬を過ぎ(1230)、白波返りつつ過ぎ(1389)、おしてる難波を過ぎてうち靡く草香の山を(1428)
だいたい昨日の通りで、特に瀬戸内の船旅が多い。今日の最後の1428は、今問題にしている3333に似ている。通過してではなく、~をあとにして、と訳せるかも知れない。ちょっと脱線してみよう。

○拾穂抄、何もなし。
代精・代初、特になし。
童蒙抄、特になし。
万葉考、特になし。
略解、特になし。
古義、特になし。
新考、特になし。
口訳、大和の方へ歸つて來るのに、難波を通り過ぎて、…
全釈、(忍照)難波ヲ通ツテ(打靡)草香ノ山ヲ…
藤森総釈、難波を通つて…。
全註釈、日のおし照る難波を過ぎて…。
窪田評釈、「難波を過ぎて」は、難波を途中の地として通過してで、海路を終えて、奈良に向かう意と取れる。
佐佐木評釈、難波を通り過ぎて、…。
私注、難波を過ぎて、…。
大系、難波を過ぎて、…。
注釈、難波を後にして…。何處かから來て難波を通過するのではなく、難波で船待ちをしてゐて、その間に奈良へ歸る場合なのである。
全集、難波を過ぎて…。
集成、難波を通り過ぎて、…。
全訳注、難波を通りすぎて、…。
井手全注、西日に映える難波をあとに…。 「あとに」と訳した説明なし。
新全集、難波を出て…。○難波を過ぎて-この過グはある場所をあとにする意。
釈注、おしてる難波を通り過ぎて…。難波から大和へと帰って行く女の立場の歌で…
和歌大系、難波を過ぎて…。早春に難波から大和へ日下の直越えの道を通って掃ってゆく女の立場の歌であろう。
新大系、難波を経て…。
阿蘇全歌講義、難波を通り過ぎて、…。
多田全解、難波を過ぎて、…。

○1、直訳とも言える、難波を過ぎて(通って等も含む)、が、口訳、全釈、総釈、全註釈、窪田評釈、佐佐木評釈、私注、大系、全集、集成、全訳注、新大系、全歌講義、全解
2、1と同じなのに、語注で、難波から大和へとするもの。釈注、新全集、和歌大系
3、難波をあとにして、注釈、全注、
2は結局3と同じと言うことになろう。過ぎてと訳しながら、説明で、あとにして、の意味とするのだから、過ぎて、をそういう意味で使っているとしか思えない。とすると、1のほうにもそういうのが混じっているかも知れない。語注がないからわからない。そういう意味では、口訳、窪田評釈が、誤解の無いような説明や訳をしているのはさすがである。これに真っ向から対立する説明が、注釈、新全集(ただそういう意味だというだけで根拠はないが)だが、注釈の説明など、むちゃくちゃとしか言いようがない。難波から奈良へちょっと行くのが、なぜ、過ぎる、なのか、理解しがたい。沢瀉久孝は、長屋王の「佐保過ぎて」(300)を傍証にしているが、根拠のないことである。瀬戸内海から大和へ向かう船が、難波で上陸せず、通過して、河内湖の日下に着船したと見ると非常にすっきりと解ける。その点でも窪田評釈は見事である。