1913、3835
判で押したような同じような注が多いのは、要するに実地踏査をせずに、地名辞書あたりを写してくるからである。東京の人間が奈良県の万葉故地すべてを見て回ることはなかなか出来るものではない。私にしても新潟岐阜愛知以東の万葉故地などは富士山以外ほとんど知らない。
注釈以外にいつも見ていた、大井、阪口、北島などについては、沢瀉が、地名辞書、大和志も含めて詳しく紹介していたが、念のため見てみる。
豊田八十代、萬葉地理考、生駒郡都跡村大字六条砂村に在り。薬師寺の北。
大井重二郎、萬葉集大和歌枕考、遺址さへ判然せぬ。藥師寺の東北、横領出屋敷六條方面の池沼の址は恐らくそれらの遺址ではないかと思はれる。
奥野健治、萬葉大和志考、唐招提寺あたりにあったのだろうが、今跡なし。
北島葭江、萬葉集大和地誌、地形から見て今の西の京丘陵にあるべきだが手がかりはない。
阪口保、萬葉集大和地理辭典、大和志の、在六條村廣一千餘畝、…其池の實體で…。要するに薬師寺南西のいわゆる七条大池が勝間田の池の跡だというのである。
犬養孝、万葉の旅(上)、不明だが、七条大池がふさわしい。写真に薬師寺東塔や寺の近鉄線沿いの樹木が写っている。
さすがにどことも分からないだけに、唐招提寺薬師寺のそばといいながら、北(五条、六条)へ行ったり南(七条)へ行ったり、西の京丘陵(今は西の京高校とかいろいろ箱ものや住宅が多い)へ昇ったりとたいへんだ。犬養などは実地踏査はいいが、七条大池がいい感じだで写真までとるようでは心もとない。といっても、私などにそれ以上のことが分かるわけはないが。