1905、
1674▼あの方の 使いが来るかと 出で立つという 出立の この松原を 今日通り過ぎるだろうか
1740▼春の日の…海の果てを 過ぎて漕いで行くうちに…
1998▼わたしの恋を 夫は知っているのに 行く舟が 通り過ぎてよいものか 言づてでもしてほしい
3240▼天皇の…過ぎて行くうちに…
3307▼だからこそ 八年間も (切り髪の) よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて この川のように 心に長く あなたの心が寄るのを待つのです
3388▼筑波嶺の 嶺に霞がかかって 去りがたいように通り過ぎかねて 嘆くあの人を 連れ込んで寝て帰してあげなさい
4176▼わが家の門を 鳴いて通り過ぎる ほととぎすは ことさら懐かしく いくら聞いても飽きない
4463▼ほととぎすが 真っ先に鳴く夜明け どうしたら わが家の門を素通りしなくなるだろう 人に語り伝えるほどに懐かしいことだ

3307は不明とするが、ある年代を意味するかといっているので、時間の経過に使っているから、ここでは不要。
「通りすぎる」「過ぎて」「通りすぎて」「過ぎて行く(2)」「通り過ぎかねて」「通り過ぎる」「素通り」と訳しており、すべて通過の意味である。~を後にして(出立して)、という訳はない。

後で検討としたもの。
3237▼(あをによし) 奈良山をあとにして (もののふの) 宇治川を渡り (娘子らに) 逢坂山に 手向ぐさの 幣を捧げて (我妹子に) 近江の海の 沖つ波の 寄せ来る浜辺を とぼとぼと ひとりでわたしは来る 妻に逢いたくて
3957▼(天離る) 田舎を治めにと 天皇の 仰せのままに やって来た わたしを送るとて (あをによし) 奈良山を過ぎて 泉川の… 佐保の内の 里を通過し…
佐保山で火葬にしたのである。それで「佐保の内の里を通過し」といったのである

3237は巻13の道行き歌であるが、「あとにして」と訳している。「あとにして」の四例目である。3957は「過ぎて」「通過し」と訳しており、「あとにして」ではない。ところで、この二首は、「奈良山過ぎて」「奈良山過ぎて」で、どちらも「奈良山過ぎて」なのに、訳が違う。どうしてだろうか。3957は、冒頭部分ではないからということだろうか。途中といっても、奈良山が最初の地名で、次に泉川があるのだから、「奈良山をあとにして」と訳せないわけではないだろうに。一貫性がないが、説明もない。