1907、3237
集成、奈良山を通り過ぎて…
全訳注、青丹よき奈良山を過ぎて…
曾倉全注、あおによし奈良山を過ぎて… 大和の人が北方へ旅をする時、奈良山を越えて大和国を離れ、逢坂山を越えて畿外に出る。境の山を越える(過ぎる)ことは心理的にも信仰的にも意味が大きく、…
新全集、(あをによし)奈良山をあとにして…
釈注、あおによし奈良山、その山を通り過ぎて…
和歌大系、(あをによし)奈良山を過ぎて…
新大系、(あをによし)奈良山を通り過ぎて…
阿蘇全歌講義、青土のよい奈良山を越えて…
多田全解、青土も美しい奈良山を過ぎて…
ほぼすべてが、語注抜きで、疑いもないかのように「過ぎて(越えて、通り過ぎて)」と訳す。一つ前の3236に「青丹よし奈良山越えて…」とあるのだから無理もない。全注のように「境の山を越える(過ぎる)」と取るならなおさらである。そんななかで、新全集が、もとの全集を踏襲したのか「あとにして」と訳すのはあまりに異様である。しかもなぜそう訳すかということの説明が一切ない。他の注釈書は、みな「過ぎて」などと訳しているのに。