1914、3835
例の七条大池から、少し南下すれば郡山市内になり、さらに少し南下すれば、もう郡山城になる。その南端は、近鉄郡山駅から西へ富雄川に向かったとき、学園前あたりから延々と延びてきた丘陵が、崖状に平野につながっているので、よく分かる。
その丘陵のちょっとした谷を利用すれば、菖蒲池、蛙股池、垂仁天皇陵の池、さらには七条大池といったかなり大きな池が作れるが、3835の左注で見ると、平城京内に遊覧に行ったとあるから、丘陵部分(たとえ低くとも)まで、京内といえるか疑問だ。それに七条大池ぐらいでは近すぎて、遊覧の外出と言えるほどもない。今はほとんど池のない平城京内だが、奈良県立図書館が埋め立てた池もかなり大きいので、そのていどの池はあっただろう。唐招提寺から秋篠川まではわずかな距離なので、それを越えて、柏木町、佐保川あるいは大安寺方面まで足を伸ばしたかも知れない。今は勝間田という地名などないが、当時はかなり有名な地名だったらしい。長安の曲江池のようなところだったのだろうか。それなら、南東の隅なのでかなりの遠出となるが。
それから、蓮が植えてあったというのはどういうことだろうか。蓮根採取のためとも言えるが、やはり、舟遊びなど出来るような池で、蓮の花を楽しむ池だったのではなかろうか。
追記、平城京東南遇の越田池は長安の曲江池や芙蓉苑にあたるという。くしくも蓮の花の園地だ。
金子裕之氏、平城京における長安城の影響
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その影響は様々な分野に及ぶ。平城京では. 都城中枢部の宮城や、園林などに唐長安の影響が明らかである。 I 三つの宮城. 北闕形と周礼形 ... 唐長安城はこの型であり、平城京や長 ..... 南隅、平城京越田池(五徳池)の位置には曲江池と芙蓉苑がある。ここは ...