1916、3289
仙覚抄、ツルキノイケ、大和國。キヨスミノイケ、同。
管見、つるきノ池は、大和に有。應神天皇…、此池を…。清隅の池 …和洲ニ有。
拾穂抄、仙覚の引用。
代精・代初、劔池ハ應神紀云。…開化紀云…。諸陵式…。舒明紀云…。皇極紀云…。清隅池も高市郡…。
童蒙抄、劔池、應神紀云、十一年冬十月作2劔池〔輕池鹿垣池厩坂池1。〕舒明紀云、七年秋七月瑞蓮生2於劔池1。〔一莖二花。〕又皇極紀三年夏六月癸卯〔朔戊申、於2劔池蓮中1有2二莖萼者1。〕大和國高市郡にある池也 清すの池…。此池も大和に有。
万葉考、諸陵式に、劔池島上陵、(高市郡)舒明紀に、…、皇極紀にも出たり
略解、劔ノ池、應神紀、…。諸陵式に…舒明紀、…。清隅池は、…。大和…。
古義、劔池は、大和國高市郡石川村にありと云り、應神紀に、…、舒明紀に、…、皇極紀に、…、(蓮の名所なること、これらにて知らる、)諸陵寮式に、…。
童蒙抄を先に見たので、代匠記精のほうは…にしたが、実際は代匠記精も同じことを言い、さらにもっと詳しい。文献から言えることは代匠記精が言い尽くしている。古義が石川村にありというのは、大和志の「劔(ノ)池【在2石川村1廣四百畝許】」が出典だろう。大和志は江戸時代の地誌をよく伝えており、今も大体その通りだからまちがいない。つまり今、橿原市石川町に孝元天皇陵があり、その濠が剣池なのである。清隅池はともかく、剣池は書紀などに何度も出ていて、おまけに蓮で有名とあるのだから、異説が出そうもない。