1902、
3333番の「大和を過ぎて」の注釈とほとんど同じ。
1、ただ、直訳的に、「過ぎて」と訳して、説明もなにもしないもの。佐佐木評釈、大系、全訳注、多田全解
2、通過して(通りすぎて)とするもの。口訳、講義、全釈、総釈、全註釈、窪田評釈、集成、新全集、釈注、和歌大系、新大系、全歌講義
3、後にして(出立して)とするもの。全釈引用の契沖、金子評釈、(私注)、注釈、全集、全注、
新考は、2か3か不明。注釈などは、後にしての傍証とするが、「遠ざかる」では、そこを出立したのか、通過して遠ざかったのか、曖昧。私注は屁理屈臭い。要するに、佐保を後にして、ということになろう。
2は12、3は6、圧倒的に、通過してが優勢だ。
3333では、
1、佐佐木評釈、大系、全歌講義、多田全解
2、
3、総釈、全註釈、(窪田評釈)、注釈、全集、集成、全訳注、全注、新全集、釈注、和歌大系、新大系
で、はっきり2といえる「通過して」が皆無であったのとは大違いである。佐保過ぎての場合、発掘によって平城京内の長屋王邸が発見されたのが大きい。釈注などは、3333では、大和を後にして、にしながら、300では、佐保を通りすぎてとする。後にして、の注釈説を踏襲するのは、全集、全注ぐらい。いつも、全集を踏襲する、新全集が、ここでは鞍替えしている。考古学的な事実の影響の大きさを感じる。それにしても、巻3の方が執筆は早いだろうに、300で、通過説を取りながら、3333で、理由説明もなく出立説をとるのは節操がないといえる。全部通過説にするべきである。