1911、3835
仙覚抄、勝間田池、下總國。
拾穂抄、かつまたの池は奈良の西京薬師の跡を申傳たり云々能因哥枕には下総にも美作にも入尤不審彼邊の案内知人申侍しは彼寺の近き程に侍とそ
代精・代初、紛ナク奈良ノ京ノ内ナリ、袖中抄…奈良西京薬師寺ノ跡…薬師寺ノ近キ程…。
童蒙抄、勝間田之池 八雲御抄をはじめ、範兼卿哥枕、類字名所抄下總國とあり。清輔抄には美作云々。尤美作には勝田郡と云ふあるを、勝間田と誤りたる故歟。曾丹集の…近江と心得たる歟。然れ共…都近邊に出遊給ふ時の、戯れ事より詠める歌なれば、勝間田池は大和なるべし
万葉考、大和國なり【袖中抄…不審故美作の湯に罷下し時彼土民より尋侍しかとさる池有と申す侍らさりき】
略解、大和なり。…堵は都と通はし用ふれは、奈良近き所なるべし。
古義、奈良(ノ)都のほとりにありしなるべし、枕册子に、…池はかつまたの池、後拾遺集十八に、…、現存六帖に、…、良玉集に、…、
新考、勝間田池はいにしへ奈良の郊外にありしなり
折口辞典、薬師寺の近傍にあった池。…。蓮の澤山あつた池。
全釈、勝間田の池は今も奈良市の西方、都跡村字六條に遺つてゐる。
契沖代匠記が非常に詳しく、ほぼすべてを尽くしている。全釈が具体的な地名まで出しているのは疑わしい。現在その名の池がないから、あれこれと穿鑿されたわけだ。