万葉巻13、3333番、大和を過ぎて

1891~1893
○3333王之 御命恐 秋津嶋 倭雄過而 大伴之 御津之濱邊從 大舟爾 眞梶繁貫 旦名伎爾 水手之音爲乍 夕名寸爾 梶音爲乍 行師君 何時來座登 大卜置而 齊度爾 狂言哉 人之言釣 我心 盡之山之 黄葉之 散過去常 公之正香乎
大君の 命畏み 蜻蛉島 大和を過ぎて 大伴の 御津の浜辺ゆ 大船に 眞楫しじ貫き 朝なぎに 水手の声しつつ 夕なぎに 楫の音しつつ 行きし君 いつ來まさむと 占置きて 齋ひわたるに たはことか 人の言ひつる 我が心 筑紫の山の 黄葉の 散りて過ぎぬと 君が直香を
3334    反歌
狂言哉 人之云鶴 玉緒乃 長登君者 言手師物乎
たはことか人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
    右二首
大和を過ぎて、難波、筑紫といく旅なら、防人しかないと思うが、諸注はどうなっているのだろうか。

管見、何もなし。
拾穂抄、勅使か国司なとにて筑紫に行てうせし人の挽哥也
代精・代初、おとこの筑紫のつかさ給はりて下りけるが、そこにてみまかりける時、妻のよめる哥なり
童蒙抄、筑紫へ任國などにて往きし人の、彼國にて死したるを歎きたる歌也
万葉考、筑紫に任てゆきし人任のうちに身まかれるを、京にある妻のきゝてかなしみよめるなり、
略解、考と同じ。
古義、考と同じ。
国司として下ったという考えばかり。

○新考、過而は置而の誤ならむ 筑紫にてうせし官人の妻の大和にてよめるなり
口訳、特になし。
全釈、官命によつて、筑紫に赴いた夫が、彼の地で歿した…
総釈、「すぎて」と読みながら「立ちて」と訳す。官命を帶び、筑紫へ下…死去…
全註釈、…スギテ。大和の國を過ぎ去つて。出て行つて。他は通説通り。
窪田評釈、「大和を過ぎて」は、大和国を通り過ぎて。大和京から発足するのであるが、勅命の旅を主として、言いかえたもの。他は通説通り。
佐佐木評釈、特になし。
私注、特になし。
大系、特になし。
注釈、「過ぎて」と読みながら、「大和の國を後にして」と訳す。他は特になし。
全集、この過グは、その地をあとにする意であろう。他は特になし。
新考の誤字説で、「過ぎて」の意味に注意され、総釈、全註釈、窪田評釈、注釈、全集が、誤字説にしないで、いろいろ訳や解釈を工夫したが、その理由を説明するものなく、いずれも無理な訳である。文脈の理解で語義を勝手に作っているだけ。

○集成、「大和を後にして」と訳す。夫は筑紫方面に旅したか。あるいは遣唐使か。地域の上では3324からこの歌までが大和の挽歌らしい。
全訳注、「大和を後にし」と訳す。 通り過ぎたのか、そこから出発したのか曖昧。
全注、「秋津島大和を後にして」と訳す。 中西と同じことが言える。
新全集、全集と同じ。
釈注、集成と同じ。◇大和を過ぎて 大和を通り過ぎ、置き去りにして、の意。大和が出発点だが、うしろ髪を引かれるようにして大和の国を通過したので、こういったもの。
和歌大系、集成と同じ。
新大系、集成と同じ。
阿蘇全歌講義、「大和の国を過ぎ」と訳す。ただの直訳だけ。説明なし。
多田全解、集成と同じ。
釈注が、大和が出発点なのだが、うしろ髪を引かれるようにして大和の国を通過したので、こういった、とするが、無理な説明だ。「過ぎる」を注釈以降ほぼすべて「後にして」と訳すが、それ以外の説明はないのだろうか。阿蘇はいつものように、そういう無理はしないが、反論もしない。直訳して、後は放置。それにしても、窪田、全註釈、伊藤など、ずいぶん苦しいこじつけをする。すっきりと説明できないのなら沈黙する方がいい。