1894
大和を通り過ぎ、を文字どおり、通過してという意味に取るには、防人が東国で徴集され、妻が夫の旅程を想像し(同伴で難波まで行ってもいい)、夫の訃報を受けて長歌を作ったとするのが、一番無理がない。なぜ東国での長歌万葉集に載ったかはもちろんわからないが、あり得ない事でも無かろう。巻14に載せるつもりが、長歌なので巻13に載せたということも考えられる。言葉の訛りがないのは作者が東国人ではないからだろうか。
それにしても「過ぎ」に、~を後にして、とか、~を出立して、といった意味があるのだろうか。
岩波古語辞典、には、通って去る、通過する、とかはあるが、後にする、といった意味はない。時代別でも同じ。ある一点の前から後へ移動することで、ある一点から進行する(立ち去る)といった意味はない。