2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1890前の長短歌は皇子の宮殿がどこにあったか言わず、城上を経過して石村に葬ったというのに対して、 こっちは、城上宮にいて、そこに殯宮を作って葬ったとあり(城上宮そのものが殯宮だという説もあるが)、城上宮という場所以外は出てこない。だから、同じ…

万葉巻13、3326番、城上宮爾

1884~1889○3326 礒城嶋之 日本國爾 何方 御念食可 津禮毛無 城上宮爾 大殿乎 都可倍奉而 殿隱 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舍人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲爾 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞 礒城島の 大和の…

奈良県の人口動態

奈良県2019年8月1日現在奈良市 35,4088 -84 58 0.000237(10)大和高田市 6,1939 -92 -4 0.00148(4)大和郡山市 8,4897 -33 18 0.000388(8)天理市 6,5413 3 3 +0.0000458(11)橿原市 12,1991 -38 34 0.000311(9)桜井市 5,5053 -51 -13 0.000926(5)五條市 2,854…

1881~1883○全体にわけの分からない歌で、最近の注でももてあましている。最初に藤原の都の事が出るから死んだ皇子は藤原の人かと思うと、遠く離れた郡山まで国見に行くとある。これはまずありえないことだ。「ゆ」という助詞の働きからして、城上の道は出発…

1874~1880○ 挽歌挂纒毛 … 藤原 王都志彌美爾 … 春避者 殖槻於之 … 朝裳吉 城於道從 … 角障經 石村乎見乍 … 懸而思名 雖恐有 かけまくも … 藤原の 都しみみに … 春されば 植槻が上の … あさもよし 城上の道ゆ つのさはふ 磐余を見つつ … 懸けて偲はな 畏くあ…

ヤフウブログの万葉の地名で中断してから以降のもの。取り敢えず、1871~1873の3回分。○3318、真珠を拾いに紀伊の国の浜へ行った夫という発想が締まりのない発想だ。行幸の供だといっても、真珠拾いとは気楽すぎる。どこの浜とも言わないし、はたして浜へ行…

9月初めにヤフーブログが廃止になり、万葉地名と朝鮮王朝実録がなくなりました。引っ越しも考えましたが、読者が2名の時もあり(実質1名)、その頃は多くても10名をちょっと越す程度だったので、やめます。 朝鮮王朝実録は、その後も連続してやっておりま…

和歌山県2019年9月1日現在県計 92,4599 ▲ 774 ▲ 127市部計 72,6156 ▲ 540 ▲ 64郡部計 19,8443 ▲ 234 ▲ 63和歌山市 35,6019 ▲ 159 9 0.000446(8)海南市 4,8922 ▲ 62 ▲ 23 0.00126(4)橋本市 6,0912 ▲ 51 4 0.000837(6)有田市 2,6443 ▲ 50 ▲ 11 0.00189(2)御…