2019-01-01から1年間の記事一覧

1907、3237集成、奈良山を通り過ぎて… 全訳注、青丹よき奈良山を過ぎて…曾倉全注、あおによし奈良山を過ぎて… 大和の人が北方へ旅をする時、奈良山を越えて大和国を離れ、逢坂山を越えて畿外に出る。境の山を越える(過ぎる)ことは心理的にも信仰的にも意味…

1906、3237口訳、奈良の山を過つて、宇治川を渡つて…全釈、(緑丹青)奈良山ヲ過ギテ、(物部之)宇治川ヲ…齋藤総釈、奈良山を過ぎて…全註釈、美しい奈良山を通り、…窪田評釈、あおによし奈良山を過ぎて、…佐佐木評釈、奈良山を過ぎて、…私注、アヲニヨシ(…

1905、1674▼あの方の 使いが来るかと 出で立つという 出立の この松原を 今日通り過ぎるだろうか1740▼春の日の…海の果てを 過ぎて漕いで行くうちに…1998▼わたしの恋を 夫は知っているのに 行く舟が 通り過ぎてよいものか 言づてでもしてほしい3240▼天皇の…過…

1904、昨日の例の中で、「行き過ぎ」「越え過ぎ」はあきらかに通過の意味なのでそれを除く。ただし佐保の内の里を行き過ぎ(3957)はすこし検討を要する。次に、「過ぎ(て)行(来)」には、通過する意味と思われるのがある。我家の門を過ぎて行くらむ(240…

1903、佐保過ぎて、難波を過ぎて、大和を過ぎて、の3つについて、同じ表現形式なのに、いろいろ説が分かれるのを見た(中には、一つの注釈書の中で説が分かれるのもあった)。残りの、「過ぎ」の用例を見る。松原を今日か過ぎなむ(1674)、杏人の浜を過ぐ…

1902、3333番の「大和を過ぎて」の注釈とほとんど同じ。1、ただ、直訳的に、「過ぎて」と訳して、説明もなにもしないもの。佐佐木評釈、大系、全訳注、多田全解2、通過して(通りすぎて)とするもの。口訳、講義、全釈、総釈、全註釈、窪田評釈、集成、新全…

1900~1901○佐保過ぎて、の沢瀉の注釈。口譯、佐保過ぎて…。新考に…二・一三六の「過ぎて」と同じく「遠ざかる事なり」とあるやうに、後にして去るといふ意味にも用ゐられ、…確かな事は決定し難い。 訳に「過ぎて」とあるように、歯切れが悪い。新考の説も、…

「過ぎ」の用例(途中まで)及び、難波を過ぎて草香山

1895~1899 春過ぎて夏來るらし(28)、黄葉の過ぎにし君(47)、嘆きもいまだ過ぎぬに(199)、過ぎむと思へや(199)、黄葉の過ぎて去にき(207)、過ぎにし子らが(217)、過ぎにけらずや(221)、行き過ぎかたき秋山を(106)、妹があたりを過ぎて來にける(136)、越智野…

1894大和を通り過ぎ、を文字どおり、通過してという意味に取るには、防人が東国で徴集され、妻が夫の旅程を想像し(同伴で難波まで行ってもいい)、夫の訃報を受けて長歌を作ったとするのが、一番無理がない。なぜ東国での長歌が万葉集に載ったかはもちろん…

万葉巻13、3333番、大和を過ぎて

1891~1893○3333王之 御命恐 秋津嶋 倭雄過而 大伴之 御津之濱邊從 大舟爾 眞梶繁貫 旦名伎爾 水手之音爲乍 夕名寸爾 梶音爲乍 行師君 何時來座登 大卜置而 齊度爾 狂言哉 人之言釣 我心 盡之山之 黄葉之 散過去常 公之正香乎 大君の 命畏み 蜻蛉島 大和を過…

1890前の長短歌は皇子の宮殿がどこにあったか言わず、城上を経過して石村に葬ったというのに対して、 こっちは、城上宮にいて、そこに殯宮を作って葬ったとあり(城上宮そのものが殯宮だという説もあるが)、城上宮という場所以外は出てこない。だから、同じ…

万葉巻13、3326番、城上宮爾

1884~1889○3326 礒城嶋之 日本國爾 何方 御念食可 津禮毛無 城上宮爾 大殿乎 都可倍奉而 殿隱 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舍人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲爾 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞 礒城島の 大和の…

奈良県の人口動態

奈良県2019年8月1日現在奈良市 35,4088 -84 58 0.000237(10)大和高田市 6,1939 -92 -4 0.00148(4)大和郡山市 8,4897 -33 18 0.000388(8)天理市 6,5413 3 3 +0.0000458(11)橿原市 12,1991 -38 34 0.000311(9)桜井市 5,5053 -51 -13 0.000926(5)五條市 2,854…

1881~1883○全体にわけの分からない歌で、最近の注でももてあましている。最初に藤原の都の事が出るから死んだ皇子は藤原の人かと思うと、遠く離れた郡山まで国見に行くとある。これはまずありえないことだ。「ゆ」という助詞の働きからして、城上の道は出発…

1874~1880○ 挽歌挂纒毛 … 藤原 王都志彌美爾 … 春避者 殖槻於之 … 朝裳吉 城於道從 … 角障經 石村乎見乍 … 懸而思名 雖恐有 かけまくも … 藤原の 都しみみに … 春されば 植槻が上の … あさもよし 城上の道ゆ つのさはふ 磐余を見つつ … 懸けて偲はな 畏くあ…

ヤフウブログの万葉の地名で中断してから以降のもの。取り敢えず、1871~1873の3回分。○3318、真珠を拾いに紀伊の国の浜へ行った夫という発想が締まりのない発想だ。行幸の供だといっても、真珠拾いとは気楽すぎる。どこの浜とも言わないし、はたして浜へ行…

9月初めにヤフーブログが廃止になり、万葉地名と朝鮮王朝実録がなくなりました。引っ越しも考えましたが、読者が2名の時もあり(実質1名)、その頃は多くても10名をちょっと越す程度だったので、やめます。 朝鮮王朝実録は、その後も連続してやっておりま…

和歌山県2019年9月1日現在県計 92,4599 ▲ 774 ▲ 127市部計 72,6156 ▲ 540 ▲ 64郡部計 19,8443 ▲ 234 ▲ 63和歌山市 35,6019 ▲ 159 9 0.000446(8)海南市 4,8922 ▲ 62 ▲ 23 0.00126(4)橋本市 6,0912 ▲ 51 4 0.000837(6)有田市 2,6443 ▲ 50 ▲ 11 0.00189(2)御…