ヤフウブログの万葉の地名で中断してから以降のもの。取り敢えず、1871~1873の3回分。
○3318、真珠を拾いに紀伊の国の浜へ行った夫という発想が締まりのない発想だ。行幸の供だといっても、真珠拾いとは気楽すぎる。どこの浜とも言わないし、はたして浜へ行っただけで真珠が拾えるものか。海に潜らないとだめだろう。妹背の山というのも地理に合わないから、夫がいい加減に言ったのを、地理も現実の真珠採取もよく知らないままに、わかる範囲内の漠然とした知識で詠んだ(あるいはそういう設定にした)ということだろう。夕占への問いにしても、対句を挟んだりして、ただ気分的なものを歌おうと言うだけで、全体に歌謡的な長歌だ。痛切な抒情がない。
3319、長歌ではあと数日で帰ってくるというのに、その数日が待ちきれずに、迎えに行こうというのも、現実離れしているというか、実感がない。杖をつくとかつかないとか、なにか険しい山道でも想定しているようだし、帰ってくる道がわからないというのも気楽なものだ。迎えに行く気があるのなら、出発の前に往復の道順を聞いておくべきだろう。紀伊へ行く道など決まっているから、行幸などの大集団なら行き違いになることはないだろうが、個人とか数人とかで行ったのなら、当たり前の道を行っても行き違いになる率は高い。ちょっと物陰やどこかの家で休憩でもしていたらそれっきりだ。そんなことはすぐに予想できるから、迎えに行こうなどとは思いつかないだろう。今でも、自宅からちょっと見える範囲内で迎えるぐらいだ。だから道がわからないなどというのも、本当にそう思ったのではなく、言ってみただけというふうである。つまりどこから見ても実感がない歌である。

○3320、(直接ではなく、回り道をして行くという)、巨勢道を通り石の瀬を歩いて、夫に会いたくて私は来た。3319のようにとにかく逢いたい一心で家を出てきて、巨勢道を通ってきた、というのだが、大系の頭注も言っていたように、序詞が異常だ。普通紀伊へ行くには、明日香・藤原であれ、平城であれ、巨勢道を行くのが普通で最短路だから、それを回り道というはずがない、だから現実の描写ではなく、そういう諺みたいなものを序詞にして、ただ巨勢道を言ったのだ、というのである。それにしても、巨勢道が回り道になるような道程などというものは普通は考えられない。それに大和・紀伊間の中心道路だから、石の瀬を踏んでいくというのもありえない。またそんな大きな川でもない。何から何まで、現地の地理など何も知らない人が、ただ紀伊への道中には巨勢というところがあり、あまり人の行かない迂回路のようなものと勘違いしていたとするしかない。自宅がどこにあって、巨勢道を経てどこまで夫を迎えに行ったのかということもわからない。後世の歌枕のように、ただ空想で巨勢道を出してきたのだろう。そして、夫に逢いたい気持ちが強くて脇目もふらずに歩いてきたということだけが言いたいのだろう。

○3321、諸注は時間が夫の出発時に戻っているとする。普通に読めばそうなる。だいたい長歌紀伊へ行ったとあるのに、ここで、また紀伊という地名を出し、そこへ行くと言って夜明け前に家を出るというのだからそうなる。ところが井ノ口という人の説では、「紀伊へ行く」ではなく「紀伊へ行っている」という意味だという。それを夜明け前、戸を開けて出て帰りを待つというのだが、それでも時間が逆行している。夫を迎えるために、3320ですでに巨勢道を越えたところまで行っているのに、家の前で帰りを待つというので、巨勢道へ行く前の段階だ。しかし、しょせん時間の順序などはどうでもよくて、夫の帰りをまつ妻のいろんなあり方を、並べただけであろう。
3322、すでに宇智まで行ったとしても、私の恋心が通じたら帰ってくるだろうという、ちょっとあり得ない想像をしている。
長歌では、紀伊へ行った夫が、あと数日で真珠を入手して帰ってくるだろう、といっているのに、反歌の四首で、途中まで迎えに行こうとか、いつ帰るかわからないとか、出発時を思い出していつまで待てばよいのかとか、宇智からでも紀伊行をやめて帰ってくるだろうとか、揺れ動く女の心をあれこれと歌っているだけのようだ。
つまり五首全体を通した筋などというものはなく、長歌で、叙事的に、真珠を求めに紀伊へ行った夫の帰りを、夕占によって知るという主題で歌ったのに対して、反歌ではそれに関した様々な待つ妻の心情を歌ったと言うことだろう。そういう歌い方の違いを問答と見なしたのだろうか。しかしそんなものを問答と呼ぶのは理屈に合わない、といえばそれまで。長歌で、夫が近況を言い(暗に留守居の妻のことを尋ねた)、対して、妻が、出発時からのいろんな苦悩を言って答えた、といったことだろうか