2303、そがひ4

2303、そがひ4
吉井氏より2年後。紀要に載った程度のもので、ほとんど知られていないと思うが、西宮氏は国語学関係で知られた人だから、語意を見るのに参考になろう。

上代語コトムケ・ソガヒニ攷、西宮一民、皇学館大学紀要・第三十輯、1992.1.1
まず最新の研究として吉井論文を上げる(その中で小野説にも言及)

私は次のやうに考へる。…。次に、ソガヒニはソ=ムカヒニであって、セ=ムカヒニではないといふことである。ソは…、「正面から外れた方向」をさす。…。要するに「正面から外れる方向」であるから、左右斜前方からずつと首を廻らして振返つて見る範囲のことと思へばよいのである。つまり、「真正面と真後ろとを除いた視野」のことだと私は考へる。さて次はムカヒニである。これは、「向うに、離れて」の意である。ムカフ〔右○〕ニではなくて、ムカヒ〔右○〕ニのウ音便がムカウニとなるのであるが、今日の常用語「向うに」の奈良時代語が、ムカヒニである。従って、「向うに」と訳せばよいのであって、これは「向うに、離れてある」状態をいふのである。
 かくして、ソ=ムカヒニ>ソガヒニは、「正面から外れる方向の、向うに離れて」の意となる。
 B ソガヒニ見ゆる((1)(5)(7)(9)(11))……斜前方の、向うに離れて存在する~が見える。(自らは固定した場所から見える。しかし、直視すれば斜に見なくてよいのにと思ふのが間違ひのもとで、人間が立って遠望する時、視野の中央を以て真正面としてゐるのであって、それを軸に斜前方とか、右寄り・左寄りにある沖つ島とか言ってゐるにすぎないのである)
 C ソガヒニ寝しく((6)(8))……相手とは正面に向かないで、、向うに離れて寝たこと。(これでは後悔の残る寝方である。吉井氏説では、「向つたり背にしたり」がちぐはぐな一夜といふが、理解を越える説だと思はれる)
となり、すべてに妥当する理解ではないかと考へる。

短い論文なのに、長々と引用したが、さすがに過去の論文の欠陥を踏まえているだけに参考になる。最後のCの吉井批判は痛烈だ。私もそう思ったぐらいだから、当然だろう。全体に、語原から考えた妥当な説のようだが、やはりBが引っ掛かる。沖つ島、玉つ島、春日野、立山、葦穂山、などを名指ししながら、なぜそれを右寄り・左寄りに見えるという必要があるのか。それを視野の中心部に置けばよいではないか。「背」は漢語としては、離れるの意味があるとしたが(前回、小野氏の結論と同じであるのを言い忘れた)、「ソ」と読んでも、離れる、隔たるの意味があるのは、山崎氏の言われる通りだろう。「向」を「向うに離れて」とされたのは卓見であろう。それでかなり筋が通る。だから、「正面から外れる方向の、向うに離れて」ではなく、「遠く離れた向こうに」で良いと思う。名指ししたものを、遠く向こうに見ながら、あるいは、~から遠く向こうに見えるものが(ものは名指しされる)、でいいだろう。遠く向こうに寝るでは大げさだが、いつも同衾して接して寝ていたものが、畳一枚以上も離れたら、遠く離れた感じだ。ただし西宮氏の言われる「外れた方向で」というのは理解しにくい。同衾しないのに、正面も外れた方向もないだろう。足先であろうが、頭の先であろうが、或いは正面であろうが、手が届かず、顔が見られず(背中を向けている)、体温が感じられないことでは同じだ。