2304、そがひ5

2304、そがひ5
「そがひ」の語義を專論とするものは案外少なく、12の用例に、赤人、家持、池主、大伴坂上郎女、東歌などの興味を引く作品が多いので、それぞれを論じる時に、言及する形態のも多い。それぞれに力点を置くために、その作品の「そがひ」の意味が優先されて、他の「そがひ」との意味の整合性が放置されることもある。その結果、その課題とした作品の「そがひ」の結論の有効性がそこなわれる恐れがある。次の論文もその例であろう。
○赤人の若の浦讃歌、廣岡義隆、「和歌の浦歴・史と文学」和泉書院、1993,5、所収。
   四 赤人長歌の讃歌性
紹介された先行論文の著者は、山崎、渡部、小野、坂本、吉井、村山、溝上の7氏。出稿後の論文として追記されたものに、村瀬氏の1993.1があるのに、1992.1の西宮氏の論文がないのは不審である。それはともかく、7氏のうち、私が未見なのは、渡部、村山、溝上の3氏のもの。廣岡氏の紹介に依れば、特に見る程のことはないであろう。7氏の紹介はいいとして、その論文の成否に触れていないのは残念である。そして、

溝上氏の見解を除いて、いずれもこの赤人の若の浦歌における「そがひに見ゆる」の解釈に難渋している。しかし、この「そがひに見ゆる」をそうひねくりまわして解釈することはない。文字通り「背後に・背面に」の意で解釈してよい。否そうしなければならない。そうしないと赤人の意図した表現から離れてしまうのである。

と言われるのだが、先人の努力を「ひねくりまわす」の一語で切って捨てるのはちょっと行き過ぎであろう。「背後に・背面に」ではどうしても解けないから、いろいろと考察されてきたのに、それを一言も批判せずに、「背後に・背面に」でなければならない、というのは、玉津島の歌だけを見ているからである。「そがひに見ゆる」は、立山、縄の浦の沖つ島、足穂山、にも使われた表現であり、それを、「背後に・背面に」と取ったら、歌が理解できないから、先人達がいろいろ考えたのだ。その「そうしなければならない」と断定する根拠も不十分なものと思える。
「そうしなければならない」という観点からする、歌の解釈はかなり特異なものである。坂本氏などの説をきっぱりと否定し、土屋私注の擬人法を、稲岡氏の「前擬人法」と置き換え、さらにそれを万葉全体に及ぼし、

「ヤスミシシ(国土を安らかに国見され統治なさいます)我が天皇の御宮居の場所としてお仕え申し上げている雑賀野から背後に見える」の意となる。

とする。しかし、これでは分かりにくい。氏は、「仕え奉れる」の主語を「雑賀野」とし、それを前擬人法と規定した。通説では、主語は官人たちであるから、「やすみしし、我が大君の常宮として(官人たちが)お仕え申している雑賀野(の離宮)から…」となる。氏のは丁寧に言えば、「…我が天皇の御宮居の場所としてお仕え申し上げている雑賀野の(神霊)から(見て)背後に見える」の意となる(「そがひ」は一応氏の解釈のまま)。
氏の解釈で疑問なのは、だいたい離宮は雑賀野に建てられているので、その建てられている雑賀野を、雑賀野の神霊が仕え奉る、というと、自分で自分に奉仕するとなる。ひねくりまわしたわかりにくい解釈である。そして次に疑問なのは、雑賀野(の神霊)から背後に見える、というところで、これだと、雑賀野の神霊が主役のようになってしまう。いくら何でも、離宮の建っている野が主役では、君臣和楽の雰囲気がなくなる。やはり作者を含めた官人たちが離宮のある雑賀野から眺めて美景をほめるのが筋である。なお、雑賀野の神霊を主役にしないのなら、視点の起点からの発出の動作をを示す「から」ではなく、「の」にすれば、こういう疑問はなくなるが、それだと、主語にもならず、前擬人法にもならない。やはりそういう無理な解釈を取らず、また「そがひ」の通説にも従わず、「雑賀野から遥か彼方に見える」玉津島山の美景を詠んだ叙景詩と見ればよいのである。

追考又は捕捉。

廣:「雑賀野の国つ神」は「大王」に奉仕すべくその土地を提供し北面し蹲踞している…のである。

先に引用したところでは「我が天皇の御宮居の場所としてお仕え申し上げている雑賀野」とあったのに、ここでは「北面し蟠踞する」とある。雑賀野の上に離宮が建っているのに、どうやって雑賀野が北面蟠踞できるのだろうか。論点のすり替えである。

廣:天皇に仕えるその国つ神の姿からすると「奥つ嶋清き波瀲」「玉つ嶋やま」の景は「そがひ(背後)に見ゆる」ということになってしまう。

顔も足もない平地の野になぜ背後があるのだろうか。だいたい平地が北面して蹲踞できるわけがない。いくら前擬人法でも、北面蹲踞とか背後とかいうには、立体的な形が必要だろう。ただの空想に思える。私が万葉人の心を理解しないで屁理屈をひねくっているのだろうか。

廣:即ちこれは、柿本人麻呂の吉野讃歌に見られる「山川もよりて仕ふる」と同様の表現であり、土地の神が天皇に仕えること第一義として意図構成された讃歌表現なのである。南面する天皇に北面して伏し仕える雑賀野(の神)の姿を赤人は描いたわけであって、これは讃歌として意図された表現である。

安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 …、の「仕え奉れる」の主語は「雑賀野」というわけだが、それが、人麻呂の吉野讃歌と同様の表現であるなら、ありえないような稚拙な表現だが、「やすみしし わご大王の 常宮と 雑賀野の野も 仕へ奉れる 雑賀野ゆ…」のように、主語が明示されるのではないか。それが、主語なしで、連体形として「雑賀野」にかかったのでは、隠れた主語が雑賀野であることが分かりにくいうえに、讃歌性が相当に減殺されるだろう。神霊が天皇に奉仕するという、強い讃歌性が、その神霊が隠されるために強く訴えないのである。人麻呂なら、「山川も」とはっきり言う。どう考えても人麻呂と同等の讃歌表現ではあり得ない。