2302、そがひ3

2302、そがひ3
次に移る前に、小野氏のまとめられた年代順配列を引用しておきたい。
  文武朝     五〇九 背に見つつ  (丹比笠麻呂)
 
          三五八 背に見つつ  (山部赤人
  元正~聖武朝  三五七 背向に見ゆる 〈山部赤人
 
  神亀元年    九一七 背匕に見ゆる (山部赤人
  天平七年    四六〇 背向に見つつ (大伴坂上郎女
    
          一四一二 背向に寝しく (巻七作者未詳歌)
  ?年代不明   三五七七 曽我比に寝しく(東歌)
          三三九一 曽我比に見ゆる(東歌)
        四〇〇三 曽我比に見ゆる(大伴池主)
 天平十九年  四〇一一 曽我比に見つつ(大伴家持
 天平勝宝二年 四二〇七 曽我比に見ゆる(大伴家持
 同八年    四四七二 曽我比に見つつ(安宿奈杼麻呂〉

年代不明のもあるが、文武朝以降の万葉後期であることは間違いなく、赤人や、家持及び家持周辺の人が目立つ。一字一音式はいいとして、訓字の場合、「背」と「背向」はどう違うのかはっきりしない。小野氏も言われたが、「向」を「がひ」と読むことは無理なようだから、「背向」の二字の熟語的な意味が「そがひ」なのだろう。とすると「背」だけで「向」の意味も表せるとなるが、それは通説のように、「後の方を向いた」「後ろの方向」と言った意味に取るのが一番素直だが、それだと、山崎、小野説のいうように、歌の解釈に困る。表記と歌意が一致しない。難問である。
そこで、漢籍調査では定評のある、吉井論文を読む。

吉井巌「萬葉集への視覚」和泉書院、1990.10.25、所収、
萬葉集「そがひに」試見(1981.2初出、小野氏より2年後のもの)
まず通説への批判については小野氏に譲るとし、「背」は「背く」だというのは新説だという。なぜか山崎説には触れない(最後まで出てこない)。そして「そむく」が「背向(そがひ)」になる過程への説明がないことを批判する。その他用例のいくつかについて説明不十分とし、通説の水準以上のものではないとする。そして、
私は、試見として、ソガヒの表記は「背向」が本来のものであり、それは漢籍の「背向」の翻訳語として生まれたのではないか、という案を提出してみたい。
とする。そして、
例示した二例はいずれも後・前(前後)の意に用いられている。「そがひ」は、この「背向」を翻訳した「前後」の意、或いは「向つたり背にしたりする」意の語として用いられたのではなかろうか。
とする。
この二例というのは、
「『淮南子』兵略訓、明王之兵」と「『漢書』芸文志」であるが、どちらも用兵のありかたを説いたもので、やや特殊な用例と言えるし、「青雲攷」で示された厖大な漢籍の引用からすれば物足りない。このわずか二例のやや偏った用語を万葉歌人が翻訳して用いたかどうか心もとない。されに、ある時は動詞のような意味で使い、ある時は名詞で使うというのもやや恣意的であり、また、小野氏への批判と同じだが、「背」ではなく「背向」だとしても、その漢語を翻訳するとなぜ「そがひ」になるのか、それがわからないし、説明もない。山崎氏の「そがひ」は「退(そ)く」から転じたものだとする方が分かりやすい。もちろん、「退く」が「背」或いは「背向」と表記される理由は分からない。しかし、小野氏、吉井氏の説よりはましだと思うのである。
 吉井氏は、各用例の点検で、「そがひに見つつ」(五例ある)は、「向つたり背にしたりする」の意味だとする。こういう風に構文上から各用例の意味を区分されたのは新見であった。それはともかく、この用例は視点が動きつつあるというのは分かりやすく、だから、見る対象に「向ったり」、それを「背にしたりする」意となるというのもわかるが、細かく言えば、前半は向かっており、後半は背にする、という動きなので、正反対の動きを繰り返すのではない。そういうのを「そがひ(向かったり背いたり)」という状態で「見つつ」と言うのは意味的におかしいとも言える。つづら折りの道なら有り得るが。用例は直線またはそれに近い道であり、海路だ。
 次は「そがひに見ゆる」でこれまた五例有る。これは視点が固定しており、対象が前後して見えるという意味だと言う。うち縄の浦と玉津島の二例は、
島々が前後に見渡される、その見えかたを表現したものであろう。
という。前にあるものが向かっているもので、後の方に見えるのが背きつつあるという意味の「前後に見える」だろうか。そんなことは言えないだろうから、ただ位置関係としての前後と言うことなのだろうか。それなら、「背向」という動詞的な意味でなく「遠近」という名詞的な意味の語で言うべきだろう。
立山の例については、
この前後に重なつてみえる見え方を「そがひに見ゆる」と表現したものと考えるのである。
とする。重なって見えるの「そがひに見ゆる」と言えるかどうか疑わしい。歌では、立山がそがひに見える、というので、立山とその他の前に連なる山々とをふくめて「そがひに見える」というのではない。立山と大日岳などとは、別の山であり(少なくとも歌では別の山と見なしている)、それらを含めて前後に見えるというのは無理である。それに、普通は、どこでも山は尾根などが重なって見えるものだが、前後一列に並んで見えるなどというのはかなり特殊である(見る角度によって、横に一列なら、前後ではなく左右に並ぶであり、ばらばらなら、前後左右ではなく、ちらばるである)。立山の場合、高岡から見ると、相当に離れており、大日岳などが前後一直線に並んで見えるかどうか疑わしい。剣、立山、薬師などの稜線に呑み込まれるだろう。広縄の居宅については、吉井氏も明言されていないように、私も保留する。もう一つの、葦穂山については、
あしほ山の姿が、足尾山を前に、その北後方に約八〇メートル高い加波山が重なり、やゝ右寄りに仏頂山としてみえる、その前後に重畳してみえる見えかたを、「そがひに見ゆる葦穂山」として捉えた表現と考えることができる。
とする。筑波山から見た光景ということだが、そこから足尾山まで、だいたい八キロあり、相当に離れている。そういえば、縄の浦の沖つ島も一〇キロ離れていた。私は茨城県は一度も行ったことが無く全く山も何も知らないのだが、足尾山から北方の加波山などの一帯の山を「そがひに見ゆる(前後して見える)」などと言えるだろうか。歌では足尾山そのものが「そがひ」に見えるというのであり、全く別の加波山なども含めて「そがひ」に見えるとはいっていない。立山の場合と同じである。前後して見えるというのには無理がある。一帯の山々を当時は「葦穂山」と言ったのだとしても同じである。それなら、葦穂山が「そがひ」に見えるのではなく、葦穂山の峰々が、重なって見えるのである。
最後の「そがひに寝しく」の2例については、
「そがひ」も「向つたり背にしたりする」意をもつことはすでに述べた。「そがひに寝しく」は、相手と一つになつて抱擁せず、相手に向いたり背にしたりしてちぐはぐな一夜を明したことを意味していると思う。
という。これなどは、山崎、小野両氏の説よりも劣る。不和になったら、とことん背をむけたり離れたりするのであって、相手に向かうなどということはあり得ない。それに、山や島などが前後に並ぶ(重なる)のところでもそうだが、前に行ったり後ろに行ったりとか、向いたり背にしたり、というのは、動きを(あるいは動きを示す状態を)示す副詞の用法であって、それは「そがひに」のように「に」を必要とする。「そがひ」だけで、「向つたり背にしたりする」という動詞や副詞の意味になるのも納得しにくい。だいたい「そがひ」の翻訳語としての語構成も説明がない。
ということで、吉井氏の説も、全用例を的確に説明してはいない。山崎、小野氏の説よりも適用しうる例が少ないと言ってもいい。後発論文としては物足りない。漢籍の前後左右の前後の意味での用例が二つあるだけの一説と言うことである。

吉井氏はわずかに2例を出しただけと言ったが、「中国哲学書電子化計画」で検索してもなかなか見つからない。吉井氏の出された「淮南子」と「漢書」の例はあった。よく見付けられたものだと思う。しかも「背郷」の表記になっているのだからなおさらだ。「史記」にはなかった。「藝文類聚」で、「背」を検索すると204例あり、すべて確認したが、「背向(郷)」は一例もなかった。「漢典」を見ると、
「背」
(5) 离開 [leave]
生孩六月,慈父見背。(見背离開了我,指死去。)——李密《陳情表》
背井离郷,卧雪眠霜。——馬致遠《漢宮秋》
という項目があり、英語でも分かるように、離れる、離れ去る、といった意味だ。
ただしこれが「背向」となると、背くことと従うこと、といった意味になる。万葉の例でも、背、一字のもあるが、背向、となったのもあり、しかも「そがひ」の語構成がはっきりしない。歌の意味からすると、山崎氏などの言われる「離れる」の意味が一番ふさわしい。「向」は、漢字本来の意味ではなく、「そがひ」の「がひ」にあてた借字ではないだろうか。「そ」は「退(そ)く」の「退」を「背」であらわしたものだろう。「そがひに」は「離れる(離れ去る)状態で」の意味だろう。「後ろ」といった意味はなさそうである。