2313、そがひ14

2313、そがひ14
4003    敬和立山賦一首并二絶
朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり來にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れども異し 峰高み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 萬代に 言ひ繼ぎゆかむ 川し絶えずは 
これは「そがひ」の中でも一番難解だ。今までは、「~ゆ そがひに見ゆる」「~に(にして) そがひに見ゆる」で、~のところに、固有名詞、あるいは「ここ」と場所を指示する名詞があったが、この歌にはそれがない。だから、どこから見て「そがひ」に見えるのかが分からない。池主というひとは、「そがひ」を歌う時の型を知らなかったのか。それから、伏木からだとすると、立山頂上は東南東はるか60キロの先にある。私は冨山市から遠望したが(立山、剣、薬師、黒部川などあのあたりは何度ものぼった)、この池主の歌の川の様子は、反歌によると片貝川のようなので私は行ったことがない。魚津市だから、毛勝三山などの剣岳の北方の連山の西側の谷で、池主の描写は実景をあらわしていると思われる。とすると、家持も池主も片貝川のほとりで立山連峰を見て詠んだという設定にしているようだが、なぜそんな離れたところに行くのかわからない。どうせならもっと迫力のある早月川(剣岳に直接つながる早月尾根の先端までいける楽に行ける)とか、立山の主峰につながる常願寺川の上流にでも行った方がいいだろうに。それに片貝川から見たとして、朝日が当たるとどんな景色になるのだろうか。やはり何年も冨山に過ごしてあちこち行った人には叶わない。

●全解
朝日がさして向き合って見える、
●全歌講義
朝日が射して、後方に見える、(大系に、「国府から見ると、東方の立山の後ろから朝日が登ることになる」という。→これだけでは意味不明だ。説明になっていない。だいたいなんで国府から見たと言えるのか、不明だ。)
●新編全集
朝日が差し 後ろに見える霊山 池主は伏木から東北東に日の出を見つつ、その方角から西南方向まで約百三十五度にわたって望まれる立山連峰の山並みを広く見渡して言った、と解しておく→この説明で、なぜ「後ろに見える」という訳になるのか、不明。)
●古典全集
朝日がさし 後ろに見える
新大系
朝日がさして背後に見える、  ここでの用い方は未詳。→未詳なのに、なぜこんな訳が出来るのか未詳。なお、4005の反歌で、「四〇〇五は片貝川近くの現地で作られたのではなく、国府での作だから、留守中の自分たちも、の意」とする。→家持が片貝川の現地で詠んだのに対して、池主等が留守番で国庁にいて詠んだとするのだろうか。
●和歌文学大系
朝日が差し、後ろに見える、→補注で窪田評釈の説に注目しているが、朝日が射す時立山の後ろが見えると言うのは分かりにくい。「後ろが見える」と「後ろに見える」では意味が違うではないか(上の注釈類も同じ)。それに伏木から見ていてそこまで言えるものか。
●釈注
朝日がさして背をくっきり見せて聳える、難解。「そがひに」は朝日がさすことで点出される状況であるはず。…。東方の逆光の中にくっきりと浮き立つ山の姿を、背を見せているととらえた…。→伊藤でも難解なのだ。それにしては、臨場感があるようだが、おおかた想像だろう。立山富山平野側を背というのもおかしい。ただの陰だろう。それに日の出の瞬間に逆光の中に浮かぶシルエットがみえるかどうかも疑問だ。出るまでの短い時間にシルエットが見え(東の空が明るくなる)、出る瞬間は眩しくて大方見えない。出たらあっというまにのぼっていき、シルエットなどできない。日の当たるところと陰との混じる斜面が見えるだけだろう。
「朝日さす」は東の山にちらっと頭を出した朝日が瞬間的にあたりに刺すようにして輝く兢い光景をいう。これが全貌を出して輝くようになると「朝日照る」…という。→用例を確認していないから確言は出来ないが、「朝日照る」は、全貌を出して輝くようになったときというより、東に面した斜面などで朝の日当たりが特に良いところ(万葉の佐田の岡など)でいうことだろう。いくら朝日がのぼっても、山の北面などでは、陰の部分が多く、朝日照るとはいいにくい。射すは空間を直線的に貫く光線、照るは地面などの広い平面が明るくなる状態の光線のこと、といった違いが有ろう。
●全訳注原文付
朝日をうけて背を見せる立山→要するにシルエットということ。
●古典集成
朝日がさして、背を見せるかのように黒々と聳える、→同上
●沢瀉注釈
朝日が背面に射して見える、→同上。ただし、原文のままでは意味が通じない(上の注釈類がそうなっている)というので、「背向に朝日さし」と逆の語順にして読むべきだとしたのは、非常にすっきりするが、そんな言い方が出来るものか疑問だ。
●窪田評釈
朝日がさして、背後に見えている、→語釈では「朝日がさしてうしろ向きに見える。」これと訳とが一致しない。訳の「背後に」というのは「うしろ向き」というのだろうか。こんな「に」の使い方は正格ではない。
●橋本全注
朝日がさし、前後に重なって見える、→吉井説の「そがひ」に従い、前後に見える(並ぶ、立山から大日岳など)の意とする。日の出時のシルエット状態ではなく、朝日が一面に射しているのでなければ、「朝日射し」の讃歌性が出ないというが、それなら伊藤の言うように、「朝日射し」ではなく「朝日照る」でなければならないだろう。また吉井説は「そがひ」の全用例のうちの二三の例に敵するように見えるだけである(それが間違いであることはすでに見てきた)。さらに、伏木の池主の家から見て(なぜそこからなのか根拠を示さない)、はたして朝日が昇りきった状態で、立山の主峰あたりから、大日岳にかけての山の重なりが、60キロも離れていて見えるものかどうか疑わしい。私は神通川から見たが、私の住む奈良盆地南部から金剛山の連峰を見るような感じで、主峰と前山との重なりなどが立体的に見えることはない。シルエットも駄目だが、60キロも離れたところに朝日が一面に射しても駄目だろう。もっと立山に近いところで、山肌などの陰影が朝日によって際立つようなところを捜すべきだろう。それにしても、吉井説ではとうてい解けそうもない。
古典大系
朝日が射して、斜め後の方向に見える立山、→どういう光景なのかさっぱり分からない。
●佐佐木評釈
朝日がさして、横に見えてをる、→家持のも池主のも実地を見て詠んだものでないので作為の跡が歴然としているという。どちらも伏木で作ったというのであろう。
●全註釈
朝日がさして横の方に見える、池主の舘あたりから、正面は南で、立山は横に見えたのであろう。→いつも正面を見ていなければならないのか。立山を主題にするのになんでわざわざ横にあると言わなければならないのか。
●私注
朝日がさし、遙かに見えるところの アサヒサシ 朝の日がさして、ミユルにつづくのであらう。→そがひはここでは普通の語意とは違うというが、全注の言うようにその根拠は示さない。しかし以前からも言うように、この訳が正しいと思う。
●佐佐木總釋
朝日のさす彼方に見える立山よ。そがひは…斜横の意す解するがおだやかである。→語釈からは訳の意味が不明。同じ著者の評釈とは訳文が違う。
●全釈
旭ガ射ス東ノ方ニアツテ國府カラ斜ノ方ニ見エル
●折口口訳
越中の國府から、後に見える所の
●井上新考
略解、古義を否定し、「背面《ソガヒ》ニ朝日ノサシテ見ユルといふべきを前後にいへるなり。」という。これは注釈と同じだが、注釈は井上新考には触れていない。
●古義
「あさひさし」は枕詞(折口のはこれによったものか)。「國府の方より、背向に見ゆるを云なるべし」、井上新考は、国府の後ろは二上山だと言って否定していた。
●略解
朝日サシは常見やる所より朝日のさすに向ひて見ゆる方なり。ソガヒニ見ユルは、府より背向に見ゆるなり。→朝日サシの説明は不審。
●万葉考
背向なり山の背は後なり→意味不明。
●仙覚註釈●代匠記
説明なし。
●拾穂抄
立山の形を云也童蒙抄云そかひはすちかひに也但用ユ2俊成ノ説ヲ1 

こう見てきてつくづく思うのは、「そがひ」の意味も意味だが、「立山賦」とあり、ある注の言うように、それは立山讃歌でもあるわけだが、いくら国府で想像して作ったとしても(一応そう見て)、なぜ脇役程の重みを持って、立山本体とは関係のない片貝川を描くのかと言うことだ。立山なら当然、常願寺川の激流であり、称名滝であり、広大な弥陀ヶ原であり、室堂の雪景色や、高山植物雷鳥であるはずだ。今と違って、万葉のころ立山に登山するなどは考えられないから、そんなものは想像も出来ないとしても、なぜ常願寺川ではなくて、剣岳のさらに北方の毛勝三山から出る片貝川なのか。冨山の住民なら当然持つ疑問だろう。そしてそれにこたえた論文があった。奥野健治ばりに、富山県立図書館の司書という方だが、もう60年以上も前の論文で、出た当座は、ちょっと反響があったたようだが(犬養氏の「万葉の旅」で紹介されている、片貝川常願寺川説は、この論文で言及されたものだろう)、今は見向きもされない。

立山片貝川、廣瀬誠、「萬葉」第20号、1956年7月

地理考証らしく短くてあっけないものだが、万葉の当時、冨山の平野部からは見栄えのしない立山本峰(前山に隠されて頂上部分がちょっと見えるだけという、私は立山剣岳などによくのぼったが、平野部からはそんなに見ていない)より、海近い片貝川の川岸から見て、険しくそびえ立つ、毛勝三山こそが、立山として尊崇されたというものだ。そこもまた、立山の一部だという。それはそうだろう。万葉で葛城山と言えば、金剛山から二上山までの山地である。それは、立山開山の元祖である芦くらの佐伯氏が本来片貝川下流の布施(魚津と黒部の境、片貝川の河口付近で合流する布施川というのがある)というところを本拠にしていたことも傍証になると言う。つまり、常願寺川が無視されたのではなく、当時は毛勝三山が立山であったから、当然そこから流れ出る片貝川が神の帯ばせる神聖な川として詠まれたと言うことだ。これは見事な結論だと思うが、もし伏木の国府から見て詠んだのだとしたら(細部は記憶や想像だとしても)、毛勝三山はあまりに北の端に(左端)寄りすぎるという難点がある。立山連峰のほぼ全体が見え、その中央に大きな立山があるのに、なぜ、その左端の、立山本峰より600メートルも低い(剣岳からでもそれぐらい低い)毛勝三山を歌の主役として詠まねばならないのかと思う。やはりこれは、片貝川の現地に立って、毛勝三山を見ながら詠んだとするしかないだろう(廣瀬氏論文中でそう言う説があるのを紹介されている)。今でも、冨山から地鉄に乗って、上市駅や立山駅に向かうとおおかた田園だが、海岸に沿って宇奈月方面へ行けば、滑川、魚津、黒部、入善、など市街地が多い。家持達も、この線(古代の北陸の幹線道路でもあった)に沿って移動することが多かったのだろう。それなら片貝川から見る立山連峰が印象に残るはずだ。
 そうなると、「朝日射し」の解釈が違ってくる。伏木から見る日の出と、魚津の片貝川下流から見る日の出とでは明らかに違う。それについては、ネット上の以下の論文が明解に答えていた。それによれば私が言うことはほとんどないようだが、細部に於いて違うところもあり、なによりも「そがひ」の解釈が大きく違う。その論文の「そがひ」の解釈は認めがたい。

万葉集「敬和立山賦」の「そがひ」に関する実景論的考察、藤田富士夫、敬和学園大学人文社会科学研究所年報No10、2012年12月
https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2012/12/nenpo10-10.pdf

この論文によると、家持、池主の立山の賦が詠まれた夏至の頃は、伏木から見て東北東の海上から日が昇るという。そして伏木から見る立山の主峰のあたりがシルエットになることはないという(冬至の頃は立山主峰の背後からのぼるという)。これで、通説の大方は認めがたいものになる。そして著者が言うには、著者が歌を作った場所とする、魚津の片貝川下流からの日の出は、新潟県境に近い、烏帽子山(483メートル)からだとする。これはもう目の前が海である。しかも、そこは朝日町という、なにか池主の歌を思わせる地名である。魚津からだと、ほぼ真東に当たる、北アルプス白馬岳の北方の朝日岳(2418メートル、町名はこれから取ったようだ)もなにかいわくが有りそうだ。その山から見ると海からのぼる朝日が美しいのか、魚津方面から見たら、彼岸の頃はそこから朝日が昇るのか。よく分からないが後者の方だろう。朝日を見るためにわざわざ険しい山に登ることはないだろう(山間の集落から見て最初に朝日が昇る山だからと、ウイキにある、だとすれば、富山県側の山麓命名したと言えよう)。
藤田氏が言われるように、朝日が昇ると、毛勝山の南東面の残雪にあたり輝くという。まさにこれが朝日射しであって、日の出頃の山の背面の暗い部分などは、朝日がさすとは言えない。こんなことは語義からして分かり切ったことだった。今でも「日がさす」といえば、雲が切れて太陽光線が地上に届くことだ。そして、その早朝の光景を、家持も池主も体験したのだろう。おそらく、夏至の前にそのあたりまで仕事で行ったのだろう。ただしその仕事先で、歌を作ったのではないだろう。都から吉野や難波、紀伊などへ行幸して長歌を作った、人麻呂や赤人のようなゆとりはないはずだ。国府へ戻ってから、記憶の新鮮なうちに、家持が人麻呂の吉野讃歌などを参照して立山賦をつくり、ついですぐに池主がそれに和したわけだ。だから、国府(伏木)からの立山遠望などは全く無関係となる。やはり記憶で作るとなると、すこし臨場感に欠けるようで、家持は勿論池主もやや形式的になっている。それにしても、片貝川の急流や、岩山の描写などは、そうとうに実感があるし、「朝日射し」などは、毛勝山の頂上の夏の残雪にあたる印象的な光景をよくとらえている。朝日岳という山の名がいつからあるのか知らないが、魚津、黒部あたりの人にとっては、朝日岳から昇る朝日の光線が毛勝山にあたる美景がよく知られていたのだろう。
結局、
朝日がさして遠くに(輝いて)見える
という解釈が正解となる。これで一応終わるが、一つどうしても見ておきたい論文があり、すぐには入手できないので、しばらくしたら、それの内容を付け加える。

参考、藤田氏のもう一つの論文。

file:///C:/Documents%20and%20Settings/susumu/My%20Documents/Downloads/2011_2_keiwa-c1_008.pdf