2289、耳我嶺考(継続中)

2289、
8、萬葉集の構造と成立 上 古代和歌史研究1、伊藤博塙書房、1974.9.30(88.9.20.4p)、第六章 万葉集における歌謡的歌巻、第一節 宮廷歌謡の一様式
――巻十三の論――、1960.3初出
この論は題名で分かるように巻13の歌の性質を論じたもので、それを宮廷歌謡と位置づけそれが形を整えたもので、人麻呂の長歌もここから生まれ、またそこへ戻っていったものもあるということを主張する。したがって、25番歌への言及は正面からのものでないし、中身も簡単である。ただし、巻13を民謡でも歌謡でもない、宮廷歌謡賭し、25番歌を宮廷歌人の代作か、あるいは天武の自作としても宮廷歌謡の性質を持つと論じるところは伊藤らしい。ただし二股かけるところは伊藤らしく、感じが悪い。
かの天武天皇壬申の乱に関すると察せられる二五番歌なども、当時実際に誦われていた民謡を無意識のうちに倣いとって天皇が詠んだと見るよりも、いくつかの記紀の宮廷歌謡のように、すでに民謡から宮廷歌謡として取りあげられていた巻十三の三二六〇番(をはりだ)、つまりそうした宮廷歌謡のテキストともいうべきものの歌を参考にして、さる語部的歌人が改作(代作)したと考える方が穏かだと思う。そう考えてこそ、三二六〇から二五へ、二五と三二六〇から三二九三(みかね)へという複雑な線が了解できるように思われる。いうまでもないことながら、元来民謡であったものを含んでいても、宮廷社会に取り上げられた民謡はもはや宮廷歌謡以外のものではないのだから、小見に影響するところはない。
という。「をはりだ」「みかね」は私が追記した。結局沢瀉説をそのまま受け継いで、それに宮廷歌謡説を上乗せしただけのもので、順序論としては新見はない。それに25番歌を改作と言うが、中身は「をはりだ」などの歌謡とは大きく異なっており、あれだけの個人的な体験の表現(西郷の言うような)が、代作的な歌謡で出せるとは到底思えないものである(人麻呂の相聞、挽歌などとは歌の質が違う)。そのあたりへの言及がないのでは、説得力がないと言えよう。