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品田悦一、人麻呂歌集旋頭歌における叙述の位相、「萬葉」149号、1994年2月
○旋頭歌は短歌の唱謡の形の意識的利用を通して編み出された「二次的な歌謡の様式」で、文献上の存在態様から見て、人麻呂によって創出された公算が高い。(神野志隆光柿本人麻呂研究』1992年)
という説を基底にしてその叙述の位相を詳しく考察したようだ。
口誦的・集団的な造形、つまり歌謡的な実体、を否定する形が現在の研究水準だが、かといって、相変わらず、掛け合いとか問答とかいった固定観念による享受から脱していない。それで人麻呂の旋頭歌を考察したということだ。そして1278番の解釈につい斬新な解釈を展開していく。さすが品田氏だ。
複数の視点が統一されないまま放置されている旋頭歌が人麻呂には多く、それは口誦的な構想力の結果であるという。そしてそういうものが集団的・口誦的な叙述の実体であるのに、歌謡的な旋頭歌は、掛け合い、呼びかけ、問答といった型式をもつというような、あまりに透明なイメージで捉えていたというのである。
つまり、人麻呂の旋頭歌こそが、本来の口誦的・集団的な叙述そのものだというわけだが、それが、実体としての歌謡ではなく、二次的な歌謡の形式とか、更に言えば人麻呂の創造による文学形式などには、どうつながるのか、次回のお楽しみというわけだ。
こう問題の先送りが続くと、読む意欲が減退する。すでに紹介した、
万葉集東歌の原表記、品田悦一、日本文学研究大成 万葉集Ⅱ 曽倉岑編 国書刊行会 309㌻ 2003.1.31
はこれの9年後のものだが、旋頭歌が東歌に変わっただけで、歌謡から定型和歌への道(万葉集への定着)が明瞭になったとはいえないだろう。まだまだ試掘作業(トレンチ)は続くのだろうか。学者というのもつらいもの。