2253

2253、
次に読んだもの。
柿本人麻呂詩学、西條勉著、翰林書房, 261頁、2009.5

一 天武朝の人麻呂歌集歌
  1 はじめに………………8
  2 木簡の示す事実…………………9
  3 極初期宣命体の歌……………17
  4 おわりに…………………27
二 人麻呂歌集旋頭歌の略体的傾向
  1 はじめに…………………32
  2 表記と用字…………………33
  3 形式とモチーフ…………39
  4 書き手の志向………………46
  5 おわりに…………………51
三 人麻呂歌集七夕歌の配列と生態
  1 はじめに…………………60
  2 前半部の配列………………61
  3 後半部の配列…………68
  4 拾遺部の生態………………71
(3)  5 書くことによる創造………………77
  6 おわりに……………84
四 人麻呂歌集略体歌の固有訓字
  1 はじめに……………90
  2 固有訓字の前提…………96
  3 文字表現の効果…………101
  4 韻律としての像…………105
  5 おわりに…………110
五 人麻呂歌集略体歌の「在」表記
  1 はじめに…………114
  2 稲岡・渡瀬説批判…………117
  3 アスペクトの像化…………122
  4 書くことの内部…………130
  5 おわりに…………137
(4)六 人麻呂作歌の異文系と本文系
  1 はじめに………………140
  2 本文系・異文系の対照…………143
  3 異文系から本文系へ…………150
  4 歌稿と歌集……………160
  5 おわりに……………168
七 石見相聞歌群の生態と生成
  1 はじめに………………172
  2 「或本歌」の評価…………176
  3 現地性/遠隔性…………183
  4 声の歌/文字の歌………190
  5 時制と話者…………………196
  6 おわりに…………………203
八 人麻呂の声調と文体
  1 はじめに…………………208
  2 技術としての声調…………………210
  3 文体のリズム…………………216
  4 おわりに…………………224
九 枕詞からみた人麻呂の詩法
  1 はじめに…………………228
  2 人麻呂歌の枕詞……………229
  3 定型のシンタックス………233
  4 リズムと像…………………237
  5 おわりに………………242
(補)あとがきにかえて…………………245

この目次を見るだけで、頁数の割りに中身の濃いものだと判る。今の場合、七以下の、いわゆる声の歌と文字の歌の議論が役立つ。歌謡そのものや歌謡から脱化したものがあるとか、歌謡の歌詞だとかいう、久米常民氏流の議論からは相当に前進している。人麻呂に限った議論とは言いながら、万葉と歌謡との関係を見るにも有効だ。目次にも出ているが、茂吉の声調論を引用しながら、それを文体のリズムと捉えるところが斬新だ。つまり人麻呂は、本来歌びと的な素養を豊かに持っていたが、その歌謡の特徴を文字の歌(目で読む歌)に持ち込み、独特の歌謡的な長歌短歌を作ったというのである。万葉に載っているのは、歌謡や歌謡の歌詞とかではなく、歌謡性を持たせた(人麻呂の詩法)、目で読む歌だというのである。それが、異文系から本文系、現地性/遠隔性、時制と話者、枕詞の持つリズムと像、という方法で具体的に人麻呂作品に即して解明されている。

 ♪にきたづの~荒磯のうえに――」。
  ♪か青く生ふる~玉藻沖つ藻――」。

 無理を承知のうえで声で誦詠されるときの状態をイメージしてみると、このようになるであろうか(ただし、♪は音声であることだけを示す)。これらの歌は音楽的に歌われたわけではなく、あくまでもことば自体のリズムにおいて誦詠される。

ここに引用したように、人麻呂の歌は音楽的に歌われるのではなく、言葉自体のリズムで、57調とか、繰り返し的な対句とか、枕詞とかいった歌謡的な表現が、濃厚な記紀歌謡的な、歌曲的な表現を濾過して、目で読む歌になり、また誦詠されるのである。

ついでに読んだ。
万葉歌解、坂本信幸塙書房、954頁、2020.4.10
附論
  三 歌謡と万葉歌(初出2016年12月)………………………九三四
これは、西條氏や稲岡耕二氏などの声の歌から文字の歌への議論が出きったあとに書かれたもののようだが、正直言って、久米常民氏の水準からほとんど出ていない。いろいろ具体的な証拠を出しているが、要するに概論的啓蒙的な内容に終止している。和歌と歌謡とはどう違うのかという重要な問題を提起しながら、万葉には、歌謡的な属性を伺わせる証拠は各所にあるが、また、歌謡とは断定できない、つまり反証もあちこちにあるという。附論だから本格的な研究ではないといわれればそれまでだが、序論的なものとしては良くできている。万葉を材料にして歌謡を論じるなら、この論文の中身ぐらいは認識しておけといったふうに。

これらの歌(続紀にある歌垣の歌)は明らかに歌謡といえるが、例えば天武天皇の御製歌として巻一に載せられた、
  み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごとく 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を(1・二五)
が、天皇の吉野宮行幸の際に、行幸従駕の人びとによってある曲節をもって朗誦された可能性を否定することはできない。松田好夫氏が「問答歌成立の一過程」(『万葉研究新見と実証』昭和43年、桜楓社。初出昭和25年2月)において巻一二五とその或本歌である巻一・二六、異伝歌である巻十三・三二六〇、巻十三・三二九三の四首がいずれも「十三句であり、同一構造の上に、類似の語句、類似の表現を持つてゐる」ことから、「同じ曲節によつて歌はれた民謡であつて、相互は民謡としての伝誦的関連によつて結ばれてゐる」と論じたのは、二五歌を「民謡」とする点に問題があるものの首肯される論であり、集団の朗誦が推定される。

ここに、「ある曲節をもって朗誦された可能性を否定することはできない。」とあるが、西條氏が歌ではなくて誦詠といわれ、また、山口佳紀氏が律読といわれたのとは違う。曲節とか集団の朗誦とかいえば、まさに歌謡ではないか。万葉集に歌謡そのものがあるとはどういうことなのか。天武の二五番歌は歌謡そのものなのか。疑わしいことである