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今までに読んだ品田氏のものを古いものから並べてみた。以前1のを2003年で一番新しいと見たが、初出は1985年で一番古いものだった、2とともに院生の時の論文。このうち、2と4が今回新たに読んだものである。

1、万葉集東歌の原表記、品田悦一、日本文学研究大成 万葉集Ⅱ 曽倉岑編 国書刊行会 309㌻ 2003.1.31、初出『國語と國文学』、1985年1月
2、万葉集東歌の地名表出、品田悦一、國語と國文學、1986年2月号
3、萬葉集巻十四の原資料について、品田悦一、「萬葉」124号(1986年7月)
4,短歌成立の前史・試論――歌垣と<うた>の交通――、品田悦一、文学、1988.6、vol.56《万葉集を読む》
5、東歌の枕詞に関する一考察、品田悦一、【稲岡耕二先生還暦記念】日本上代文学論集、352頁、上代文学研究会編、1990年4月12日
6、人麻呂歌集旋頭歌における叙述の位相、品田悦一、「萬葉」149号、1994年2月

2はあの大量の東歌の地名について、何か地理的な論説でもあるのかと思ったが、そんなものは何もない(期待する方が間違っている)。また、半分以上と言ってもいいほどの長さで、1にあるのと同じ議論がくり返される(その後3、5にもくり返される、量は減るが4、6にも)。1から一年ちょっとでたてつづけに書くのだから仕方がないかも知れないが、読む方は食傷だ。しかも、論理の飛躍が多く、詰め込みすぎで、分かりにくい。品田氏もメッキがはげる。とはいえ、こういう文章をもとにして、「神ながら」とか「万葉集の発明」とかが書かれたのだろうか。4は、岩波の「文学」に出ただけあって、ややじっくりとした書き方だが、土橋の歌垣理論への批判が大方だ(「歌垣と神話をさかのぼる・少数民族文化としての日本古代文学」、工藤隆、新典社、1999.7.7、にも同じような批判があるが、こっちは啓蒙的な新聞記事)。
2、4について、詳しく中身を紹介しようと思ったが、複雑なので少し間を置こう。4についてすこしだけ言えば、ちょっと飛躍になるが、ジョン・ロックの「統治論」に似たモデル(構想)だ。要するに、日本古代の歌垣といっても、民俗の自然状態における集団行動が記録されているのではない。それは律令国家による交通という規制の下に機能している行事だ、というのだが、この交通というのは、言い換えれば、ロックのいう、 GOVERNMENT のようなものだろう。