2158~2165

2158、
次は、田結我浦(366)、手結之浦(367)。笠金村の歌は奇妙な表現が時に使われる。それに、同じ作者で、一方が「が」、一方が「之」というので、野島が崎に似た問題がある(金村の場合は長歌反歌なので、「之」は「が」と詠むしかないが)。それに万葉では、「~の浦」は大量にあるが、「~が浦」はこれと、まつがうら(3552)だけというのも、「野島が崎」が250の一本と新羅使人のこの歌の誦詠だけで、あとは「~の崎」がたくさんあるだけと、沢瀉が指摘したのと似た事情にある。
2159、2160、2161、2162、2163、2164、2165
多田全解、長反どちらも「が」と読む。訳も「が」。説明なし。
阿蘇全歌講義、366「が」、367「の」。訳はどちらも「の」。説明なし。
新大系、多田と同じ。
和歌大系、多田と同じ。
釈注、多田と同じ。
新全集、読みは長反ともに「が」だが、訳はどちらも「の」。
全注、新全集と同じ。
全訳注、新全集と同じ。
集成、多田と同じ。
全集、新全集と同じ。
注釈、366は読み、訳ともに「が」。367読み、訳ともに「の」。
大系、366は読み、訳ともに「が」。367読み不明(手許にない)訳は「の」。
私注、366の読みは「が」、その訳と367はすべて「の」。つまり佐佐木と同じ。
佐佐木評釈、366読み「が」訳「の」。367、読み、訳ともに「の」。
窪田評釈、佐佐木と同じ。
全註釈、多田と同じ。
金子評釈(巻6まで)、佐佐木と同じ。
総釈、注釈と同じ。
全釈、佐佐木と同じ。
講義、注釈と同じ。367の「手結の浦」は366の「手結が浦」と同じとする。
口訳、366は読み、訳ともに「が」。367読み「が」、訳「の」。
新考、366読み「が」、367読み「の」。訳はどちらもなし。
近藤註疏、新考と同じ。
古義、新考と同じ。
檜嬬手、新考と同じ。
攷證、新考と同じ。
楢の杣、366、367ともに「が」と読む。訳はなし。
略解、新考と同じ。
槻落葉、新考と同じ。
万葉考、366「が」、367読みなし。
童蒙抄、楢の杣と同じ。
代精・代初、新考と同じ。
拾穂抄、366読みは「が」語注は「の」。367読み「の」。
管見、366読みは「が」。
吉田、大日本地名辞書、366、367ともに「の」。夫木抄の「たゆひの浦」出す。
これだけ多様な読み方をしているにかかわらず、その根拠を説明したものが一つもない。すべて主観なのか。整理してみる。まず長反の片方にしかないのは除外する。
イ、366、367ともに「が」と読み、訳がないもの。
  童蒙抄、楢の杣
ロ、366「が」、367「の」と読み、訳がないもの。
  代精・代初、槻落葉、略解、攷證、檜嬬手、古義、近藤註疏、新考。
ハ、366、367ともに「が」と読み、訳も「が」。
  全註釈、集成、釋注、和歌大系、新大系、多田全解。
ニ、366読み「が」訳「の」。367、読み、訳ともに「の」。
  全釈、金子評釈、窪田評釈、佐佐木評釈、私注。
ホ、366読み「が」訳「の」、367読み「の」訳「の」。
  阿蘇全歌講義。
ヘ、366読み「が」訳「が」。367読み「の」訳「の」。
  講義、総釈、大系?、注釈。
ト、366読み「が」訳「の」。367読み「が」訳「の」。
  全集、全訳注、全注、新全集。
チ、366読み「が」訳「が」。367読み「が」訳「の」。
  口訳。
リ、366、367共に「の」、訳なし。
  大日本地名辞書。
ヌ、366読み「が」語注「の」。367読み「の」、語注、訳なし。
  拾穂抄。  
長歌反歌に出る同じ地名で、「我」「之」の読み方と訳しかたの違いで、8通りもの説があるとは驚いた。もっとも「我」を「の」と読むのは論外と思われる。よって、吉田は除外する。
(1)2首の読みがともに「が」のもの。
イ、366、367ともに「が」と読み、訳がないもの。
  童蒙抄、楢の杣
ロ、366、367ともに「が」と読み、訳も「が」。
  全註釈、集成、釋注、和歌大系、新大系、多田全解。
ハ、366読み「が」訳「の」。367読み「が」訳「の」。
  全集、全訳注、全注、新全集。
ニ、366読み「が」訳「が」。367読み「が」訳「の」。
  口訳。
(2)2首の読みの366が「が」、367が「の」のもの。
イ、366「が」、367「の」と読み、訳がないもの。
  代精・代初、槻落葉、略解、攷證、檜嬬手、古義、近藤註疏、新考。
ロ、366読み「が」語注「の」。367読み「の」、語注、訳なし。
  拾穂抄。
ハ、366読み「が」訳「が」。367読み「の」訳「の」。
  講義、総釈、大系?、注釈。
ニ、366読み「が」訳「の」。367読み、訳ともに「の」。
  全釈、金子評釈、窪田評釈、佐佐木評釈、私注、阿蘇全歌講義。
組み合わせ数は4で互角。注釈数は、(1)は13、(2)は19。(2)の方が圧倒的に多いが、古い注釈に片寄る。最近の主なものでは、沢瀉注釈、窪田、佐佐木、私注、といったあたりだが、これももう古い。それだけに最近の阿蘇のが目立つ。(1)は古いのが少ないが、最近の有力なのは大方含む。全註釈、釋注、全注、新編全集、新大系、など。古くは文字どおり、「我」は「が」、「之」は「の」と読み分けたのを、古い所で、童蒙抄、楢の杣、最近のでは、口訳、全註釈あたりから「が」に統一したようだ。それにしても、此だけ多様な説がありながら、以前も言ったように、その読みの根拠を説明したものが何もない。
(1)の場合、訳文でも、「が」で統一するのは、全註釈、集成、釋注、和歌大系、新大系、多田全解、でおもな注釈類が勢揃いだ。一方、全集、全訳注、全注、新全集、は、訳を「の」で統一。これも錚々たる顔ぶれだ。折口は中途半端。
読みと訳はちょっと観点が違う。読みは純粋に文字の問題。訳は、当時の地名のあり方が問題。「が」で統一するのは、読みに合わせたもので、すっきりとして理解しやすいが、沢瀉が「野島が崎」で言ったのと同じ問題がある。当時、海に関した地名で、「~が」というのはほとんどなく、「浦」も、「手結が浦」以外には、「まつがうら(3552)」だけという状態だ。沢瀉は「野島が崎」は「野島の崎」が正しく、「野島が崎」の方は伝誦による変化だとしたが、こっちは、長反の一作品で、一つの同じ地名だから、伝誦説は成りたたない。ではなぜ「手結が浦」などという珍しい読みを採用したのかとなる。それを説明しないで、読みどおりに「手結が浦」と訳したと言うだけでは、説得力がない。「の」で統一した方は、集中の「浦」地名としては納得できるが、作品で「手結が浦」とある地名を、勝手に変えていいものかどうかという不安がある。少し戻るが、一つの作品の同じ地名で、なぜ「が」を示すのに「我」「之」と使い分けをしたのかも疑問だ。まさか高木市之助の言う、変字法(かえじほう)ではあるまい。