2316、去来見山(いざみのやま)2

2316、去来見山(いざみのやま)2
次の二首が、44番歌ににた技法の歌とされる
73 長皇子御歌
我妹子を早見浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ
2752 我妹子を聞き都賀野辺のしなひ合歓木我れは忍びず間なくし思へば
3627 属物發思歌一首并短歌
朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 眞楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隱りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに… 
まず、73番歌。
拾穂抄、早見濱見安云名所也或説筑後或は近江云々
代匠記精、早き濱風なるべし、(難波に早見という地名はない)→初も同内容
僻案抄 早見濱《はや(つと?)みはま》は、難波の濱の名なるべし。
考、豐後に速見郡あるが如く、難波わたりにも早見てふ濱ありて、
略解、豐後に速見郡有り。攝津國にも有るか。
楢の杣、早見の濱の名に掛て
燈、猶攝津國にありし濱の名にぞあるべき。
攷證、濱行風のいやはやにてふ歌に依て、地名にあらずといへど、此歌、さては叶はず云々といはれしかど、いかゞ。→つまり非地名説。
古義、攝津(ノ)國の地(ノ)名なるべし、
檜嬬手、津(ノ)國の内ならん。
安藤新考、玉小琴云見濱は御濱にてたゝ濱のことなるへし
註疏、早見濱は津國の地名歟
美夫君志、早き濱風といふを、吾妹子をはやく見むといひかけたるなるべし。早きを早みといひしは、卷十一に泊湍川速見早湍乎結上而…
左千夫新釈、訳、海上から都の方向へあゝ心地よく吹く濱風よ、…
新考、眞淵は…。宣長は…。契沖は十一の卷にハヤキ早瀬といふことをハヤミハヤセといへる類にてハヤキ濱風といふ事なりといへり。是最穩なり。
口訳、…この早見の濱を吹く風よ。…
講義、(考の説)地名のありし證なし。契沖の釋せるうちに卷十一…を證として早き濱風の意とせるあり。この點は從ふべきなり。
全釈、早見濱といふ地名と解する説もあるが、難波邊にその地名がない。…、早い濱風の意らしい。
總釈、はやみは、淨み原、赤み鳥などの例と同じで、形容詞の連體形である。
精考、玉(ノ)小琴は「見濱」は「御濱」でたゞの浦の事、妹を早や見むと言ひかけただけの事と説いてゐる。(これは御津を御濱といつたものと見るのであらう。)…、比較的穩かな見解であらうか。
金子評釈、濱の名の「早見」をいひ懸けた。…地名にあらず…。これも一説ではあるが却つて面白くない。すべていひ懸けは語質の違つたもの程その妙味を増して、しかも簡明になるもので、こゝも地名と「早見む」の語意とを抱合させたのである。さて早見の濱は…難波附近にあつたものか。
窪田評釈、訳、吾妹子を早く見るという名をもっている早み浜風よ。…「早み」で、これは形容詞の連体形で、浄見原、朱鳥などと同じ例である。
全註釈、訳、… その早く吹く濱邊の風よ、…。…ハヤミは、淨み原、赤み鳥などの例と同じく、連體形である。
佐佐木評釈、「早み濱」を地名とする説(奧儀抄、考)に從へば解しよいが、難波附近にさういふ地名はない。早みは朱《あか》み鳥、速み早瀬などと同樣、早きの意で、ここは妻を早く見たいの意に、早く吹く濱風とかけたもの。
私注、…ハヤミハマは地名であらう。…地名でなく(説もあるが)…、歌調からすれば、地名でなくては收まらない句だ。
大系、訳、わが妻を早く見たいと思う私の気持のように早く吹く浜風よ、…
注釈、訳、…早く吹く浜風よ…。
古典全集、訳、…はやての浜風よ…。地名としない。
古典集成、早見を地名とする。
全訳注原文付、訳、…住吉の松を吹く風よ…。早い浜風とする。
全注、釈注と同じ。非地名説を出し、「ここは四四などの例により地名と見る。」とする。
新編全集、訳、わが妻を 一日も早く見たいはやての浜風よ…。早み浜風-早く吹く浜風。
釈注、訳、我が妻を早く見たいと思う、その名の早見浜風よ、…。早見」は大阪市住吉付近の地名であろうが、所在未詳。
和歌文学大系、○吾妹子を早見浜風-吾妹子に早く逢いたいという名の早見浜を吹く風よ。「吾妹子を」は「早見」にかかる枕詞。「我妹子をいざ見の山」(四四歌)というのに類似。ハヤミは早く見たい意と早見浜の地名との掛詞。早見浜は大阪市住吉区付近の地名だろうと思われるが未詳。
新大系、訳、我が妻を早く見たい、その早い浜風よ、…。∇「早み」は、早く見たい意と、早い意の「早み」を掛ける。地名とは見ていない。
全歌講義、訳、私の妻に早く逢いたいと思う、その心せく思いと同じように、早く吹く浜風よ。大和で私を待っている椿のように美しい妻に私のこの思いをきっと伝えておくれ。地名とは見ていない。しかし説明は何もない。
全解、訳、わがいとしい妻を早く見たい早見の浜風よ、大和で私の帰りを待っている松や椿をも吹き忘れるな。けっして。「早見」は住吉の地名らしいが、未詳。

地名説、拾穂抄、僻案抄、考、略解、楢の杣、燈、古義、檜嬬手、註疏、口訳、金子評釈、私注、古典集成、全注、釈注、和歌文学大系、全解(17)
非地名説、代匠記、攷證、安藤新考、美夫君志、左千夫新釈、新考、講義、全釈、總釋、精考、窪田評釈、全註釈、佐佐木評釈、大系、注釈、古典全集、全訳注、新編全集、新大系、全歌講義(20)
四捨五入して2つに分けたが、これで十分だ。拮抗しているように見えるが、地名説は江戸期に多く、それを軽く見れば、非地名説の法が優勢だ。しかし根拠は、代匠記と考以来ほとんど変わっていない。地名説では、最近の私注でも、地名でなければ歌にならないとか、今どこにもないような小さい地名でも歌には詠まれるといった主観的なものだ。あとは、一連の伊藤博のと、稲岡、多田ので、考とかわりない。非地名説は、代匠記が言った、「早み」の「み」は連体形の意味で、集中に「早み早瀬」という用例があるという根拠をずっと受け継いでいる。その間に、表現の技巧を少しずつ挟み込んだりしている。とにかく、近代以降の支持の多さから言えば、非地名説がいいように見える。たしかに、住江あたりに、早見浜といった地名はありそうにない。「み」という連体形に違和感を持つ人もいるが、「早き浜風」と素直に言ったら、妻を早く見たいというのと掛詞にならないし、掛詞にしたいから「吾妹子を」と言ったので、勢いとして「早見・早み」というしかない。ちょっと落ち着きのない感じもするが、諸注のいうように、石上麻呂の44番歌の「吾妹子をいざみの山」を受けているのは間違いなかろう。
(いざ見の)山
(早見)浜風
では、「の」「み」の違いがある。早い浜風は、掛詞からきたとしても、浜風の強さが、妻を早く見たいという心とよくあっている、いっぽう、いざみの山は、さあ妻を見ようというのと、視界を遮る山とがしっくり合わない。つまり長皇子のような調子のよい技巧がなく、ぎくしゃくとしている。その素人臭い、素朴なところや、民謡的なところがいいのだろう。長皇子の歌では、非地名説が優勢だったが、なぜか44番歌は、地名説が定説に近い形だ。こちらのほうも、いざみの山などという山はありそうにないのだから、非地名説がいいだろう。早い浜風に対して、さあ見ようとして(登る)山、一方はただの風であり、一方はただの山、ということだ。後者のは、序詞の部分がややピントがずれていて、歌としての統一感に欠けるが、それが先にいった、素人的、民謡的ということだ。

もう一つ15-3627の例を挙げておいたが(伊藤博の全注巻1が出していたもの)、それは
…(我妹子に) 淡路の島は …(我が心) 明石の浦に…
と訳されるような枕詞で、淡路についで、同歌中に、明石まであるように、掛詞で地名にかかるという普通の技巧であって、「早見」や「いざみ」のような非地名にかかる技巧とは少し違うので、例としては取り消す。要するに、伊藤は、いざみの山も、早見の浜も、みな地名と見ているから、3627番の例も挙げたのだろう。