2195~2200

2195、
天之香來山、畝火之山、眞神之原、百濟之原、野島之崎、天之芳來山、神之埼、見穗之浦、田兒之浦、明石之浦、手結之浦、夏實之河、鳥篭之山、眞野之浦、隱之山、網兒之山、竹田之原、三船之山、吉野之河、春日之山、鹿脊之山、鹿嶋之埼、三方之海、鞆之浦鞆之浦、遠津之濱、妹之山、妹背之山、妹之嶋(いもがしま)、形見之浦、玉之裏、金之三埼、泊瀬之山、名兒乃海、始見之埼、眞神之原、倉無之濱、芳野之川、龍田山、倉橋之山、鹿嶋之埼、羽買之山、春日之山、裁田之山、血沼之海、三笠之山、淡海之海、名高之浦、淡海之海、敷津之浦、獵道之池、室之浦、飛幡之浦、眞若之浦、荒藺之埼、田籠之浦、荒津之濱、管木之原、阿後尼之原、相海之海、淡海之海、近江之海、三野之國、三野之山(2回)、長門之浦、阿胡乃海、山跡之土、倭之國、泊瀬之河、明日香之河、眞神之原、清隅之池、吉野之高、長谷之川、長谷之山、机之嶋、勝間田之池、
2196、
天之香來山、天之芳來山、畝火之山、鳥篭之山、隱之山、網兒之山、三船之山、春日之山(2)、鹿脊之山、妹之山、妹背之山、泊瀬之山、長谷之山、龍田山、裁田之山、倉橋之山、羽買之山、三笠之山、三野之山(2回) 20
吉野之高、 1
眞神之原(3)、百濟之原、竹田之原、管木之原、阿後尼之原、 7
夏實之河、泊瀬之河、長谷之川、明日香之河、芳野之川、吉野之河、 6
獵道之池、清隅之池、勝間田之池、 3
野島之崎、神之埼、鹿嶋之埼、金之三埼、鹿嶋之埼、荒藺之埼、始見之埼、 7
妹之嶋(いもがしま)、机之嶋、 2
見穗之浦、田兒之浦、明石之浦、手結之浦、眞野之浦、鞆之浦(2)、形見之浦、玉之裏、名高之浦、敷津之浦、室之浦、飛幡之浦、眞若之浦、田籠之浦、長門之浦、16
三方之海、名兒乃海、血沼之海、淡海之海(3)、相海之海、近江之海、阿胡乃海、9
遠津之濱、倉無之濱、荒津之濱、 3
三野之國、山跡之土、倭之國、 3
2197、
さすがに山が20で多いが、浦が16もあるのも多い。何故だろう。海が9,埼が7あるのと合わせて海岸の土地が好まれたのか。それを言えば、原が7,川が6というのもあるが、やはり浦が飛び抜けて多い。「之」を「が」と読むのは問題の手結之浦と妹之嶋だけ。浦は手結を除けば15例みな「の」だから、やはり手結之浦も「たゆひのうら」が素直だろう。妹之嶋はどうなっているのだろう。島の例は少ないが、埼、浦、海、浜などの例からしても、「いものしま」とありたいろころだ。
2197、2198、2199
7-1199
拾穂抄、妹か嶋かたみのうら目とまるへし皆紀伊也と八雲抄にあり
代精・代初、初、いもかしまかたみの浦 八雲御抄に紀國と注せさせ給へり。
童蒙抄、いもがしま、かたみの浦 紀州、八雲に出たり。
万葉考、妹之《ガ》島、形見之浦爾、 紀伊國にあり
略解、八雲御抄にも紀伊と有り。妹が嶋も同じ所なるべし。
古義、妹之島形見之浦《イモガシマカタミノウラ》は、紀伊なるべし
新考、妹ガ島形見ノ浦と二つの地名を並べ擧げたる相互の關係は如何。…案ずるに妹ガ島と形見ノ浦と相近き二つの地の、名の上にても縁なきにあらねば(妹が形見といふやうに聞えて)妹ガシマをカタミノ浦の枕のやうにつかへるにて鶴の翔るは形見の浦なり。さればイモガシマの五言は准枕辭と認むべし。
口訳、妹ケ島、形見ケ浦
全釈、妹が島を友島とし、形見の浦を加太の浦として置かう。
窪田総釈、新考の説支持。
全註釈、妹が島の形見の浦に、紀伊名所図会の友が島、加太のあたり説紹介。
窪田評釈、総釈と同じ。
佐佐木評釈、妹が島形見の浦…。この句法からすると兩者從屬關係で、妹が島の形見の浦と見るべく
私注、妹が島形見の浦に。
大系、妹が島の形見の浦に
注釈、妹が島の形見の浦に
全集、妹《いも》が島の 形見《かたみ》の浦に
集成、妹が島の形見の浦に
全訳注、妹が島の形見の浦に
全注、妹が島形見の浦に
新全集、妹《いも》が島の 形見《かたみ》の浦に
釈注、妹が島形見の浦に
和歌大系、妹が島形見の浦に
新大系、妹が島の形見の浦に
阿蘇全歌講義、妹が島の形見の浦に
多田全解、妹が島の形見の浦に
2200、だいたい予想はしていたが、ここまで完璧に判で押したような注釈で埋められるとは、驚きだ。妹之島形見之浦と連続したものを、前の「之」は「が」で、後の「之」は「の」と読み分けることがなぜ可能なのか完全沈黙。折口だけが、「形見が浦」とよんで統一したのが不思議なぐらいだ。浦は「の」で、島は「が」だとか、「妹」とあるから「が」だとか、せめてそれぐらいのことは言うべきだと思うのだが、全く何も言わない。地名の「之」はほぼすべて「の」なのだから(妹之山も「いものやま」だった)、ここも「の」とすべきだろう。そうすれば、すぐあとの「形見之浦」の「の」と同じになり、調和が取れるだろう。それにしても「妹の島」と読んだ注釈が一つもないとは残念だ。後世は「友が島」のように、みな「が」だから、契沖なども「妹が島」としたのだろうが、近世以降の「鬼が島」「女護が島」にしても、古くは「鬼の島」「女護の島」だったのだ。池上禎造氏が言っておられたように、「双が岡」「鹿が谷」は古くは「双の岡」「鹿の谷」だったのだ。