2201~2207

2201、
2165あたりで既述。
(2)2首の読みの366が「が」、367が「の」のもの。
イ、366「が」、367「の」と読み、訳がないもの。
  代精・代初、槻落葉、略解、攷證、檜嬬手、古義、近藤註疏、新考。
ロ、366読み「が」語注「の」。367読み「の」、語注、訳なし。
  拾穂抄。
ハ、366読み「が」訳「が」。367読み「の」訳「の」。
  講義、総釈、大系?、注釈。
の中のハがよいと言ったが、やはりこれしかない。
2202、
代精・代初、槻落葉、略解、攷證、檜嬬手、古義、近藤註疏、新考などの有力なものが長歌は「我」だから「が」と読み、反歌は「之」だから集中の「~之浦」の例に従って「の」と読み、同じ地名が、長歌反歌で呼び方が違うのを意に介さなかった。講義、総釈、大系?、注釈、といった、これまた有力な注釈書は、読みだけでなく訳の方でも「の」「が」と呼び分けた。
2203(体調不良により休む)
2204、
366    角鹿津乘船時笠朝臣金村作歌一首并短歌
越海之 角鹿乃濱從 大舟爾 眞梶貫下 勇魚取 海路爾出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦爾 海未通女 塩燒炎 草枕 客之有者 獨爲而 見知師無美 綿津海乃 手二卷四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 眞楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海女娘子 塩燒く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に卷かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を

367    反歌
越海乃 手結之浦矣 客爲而 見者乏見 日本思櫃
越の海の手結の浦を旅にして見れば羨しみ大和偲ひつ

なぜ長歌反歌で同じ所の地名を、ただの繋ぎの助詞の違いといいながら、「~が浦」「~の浦」と二通にしたのか。長歌では、手結が浦で海女の娘が塩を焼く煙に感動して大和の妻を偲んだ、とあり、反歌では、手結の浦そのものの美景を見て大和の妻を偲んだとある。短歌らしく、叙事が大まかになっている。
2205、
窪田評釈366【評】 …。この長歌は、越の海の手結の浦に立つ、塩焼く煙の面白さを中心とし、それに伴う連想として家郷の妻を思ったものである。それは平生大和国に住んでいる金村からいうと、珍しく、したがってはなはだ面白いものであったろうとは察しられるが、要するに取材としては単純なものである。そのことは、この長歌を繰り返した形の次の反歌で、ほぼ同じ心を言いつくしているのを見ても明らかにわかることである。その点からいうとこの長歌は、長歌という形式を用いるまでの必要のない場合に、興味によって用いたものといえる。…文芸性を発揮しようとするところにあったものと見られる。…捉えているところは、作者に同情して割引して見ても、平凡な、また単純な風景で、それまでにふさわしくない軽いものである。その「炎」に余情をもたせて言いきり、しかも飛躍して「草枕旅にしあれば」と転じさせているのは、その風景をきわめて重く扱おうとしていたことがわかる。風景のもつ趣が、独立して歌の対象となり得たのは、その起こりはやや古いにもせよ、大体この時代に高まってきたもので、その点からいうと、金村の風景に対するこの態度は新味のあるもので、そこに文芸性があるといえるものである。また、「綿津海の手に巻かしたる珠だすき懸けて」は、いったがように枕詞に序詞を冠したもので、甚だ技巧的なものである。その序詞は海に関係させてのものであるから、その用意をもしたものと思われる。この技巧が作意にとって、はたして妥当なものかどうかは問題となりうるもので、必ずしも妥当とはいえないものである。とにかくここには極度に技巧を喜んだ跡が見えるのであって、これも文芸性を求めたものといえる。歌としての価値は高くはないが、作歌態度として時代の尖端を行こうとしたところの見えるものである。
367【評】 長歌の心を要約して繰り返した形のもので、反歌としては、人麿以前へ立ちかえった古風なものである。長歌では、手結の浦の「塩焼く炎《けぶり》」に力点を置いたのを、これは、「手結の浦」の中に取り入れているのがおもなる違いである。
ずいぶん長い評語だが、取材は平凡なもので、文芸性を発揮しようとして技巧をこらし時代の先端を行こうとしただけの凡作だという。これだけ長く書くのなら、その表現や技巧の万葉集内での系譜、人麻呂との関係なども書いてほしいものだ。
2206、
佐佐木評釈
366〔評〕 郷愁を太く深い線で彫りこむやうに詠んでゐる。調子にも用語にも、軍王の歌(五)を思はせるものがある。心細い海上の旅でも、明媚な眺望は面白い。併し結局それも旅中唯一人で見ては物足りない。そこでその風情を家人にも見せたいといふ念願がおのづから湧き、引いて大和への郷愁をおこすといふ心理の動きが巧みに現はされてゐる。
367〔評〕 風景の珍しさに、自分一人眺めるのは惜しく、殆ど海を見たことのない大和の家人にも見せたくて、そぞろに郷愁を覺えたのである。長歌の心を要約して反復した歌である。
2207、
窪田に比べると遥かに短く、それだけ窪田よりも物足りない。軍王のに似ると言うが、軍王のは陸地での旅宿のわびしさをいったもので、網の浦の塩焼く乙女が出てかろうじて海辺であることが分かるが、それも序詞である。金村のは敦賀湾を航行中の海岸の美景(具体的には塩焼く乙女だけだが)から、家族(妻)の居ない淋しさを言ったもので、状況がかなり違う。「郷愁を太く深い線で彫りこむやうに詠んでゐる。」というのはさすがに和歌の技巧には詳しいだけある。それもそうだが、普通瀬戸内海から九州の船旅を詠むのが万葉集に多い中で、北陸の敦賀湾を航行する歌というのは珍しい。越中への旅に詳しい家持にも敦賀湾のはない。琵琶湖はよく船で行ったようだが。敦賀からは私もスキーで山越えをしたが、鉢伏山から帰(鹿蒜)まで、スキーでもそんなに困難な山越えではない。湾内の舟行は面白いものだろう。敦賀半島の山がいい。こういう珍しい異郷が詠まれるのが万葉集の魅力であり、この歌を載せた人もそういう風土のめずらしさに惹かれる面もあっただろう。海女乙女の塩焼きの煙だけではさすがに窪田の言うように平凡だ。とにかく、敦賀の手結という地名だけでも風土性は出る。