2166、2167

2166、
(2)の場合、「我(が)」「之(の)」とテキストどおり素直に読んだのはいいが、なぜ一つの作品の一つの地名を二通りに詠みわけたのかがわからない。訳のあるのでは(拾穗抄は訳なしとみなす)、講義、注釈などが、「が」と詠んだのは、「が」で訳し、「の」と詠んだのは、「の」で訳すという素直なものだが、やはり同じ地名をなぜ二通に表現するのか分からない。もう一つは、読みは「が」「の」だが、訳は「の」で統一というもので、全釈から阿蘇全歌講義までかなり有力だ。しかし、「が」と読んだものを、いくら集中では「~の浦」がほとんどだと言っても、「の」にするのは、作者が「が」にしたのを無視しているようだ。その理由も説明していない。
私としては、理由説明の無いのが残念だが、(2)の、講義、総釈、大系?、注釈、の説が一番いいと思う。こういうのは、案外、沢瀉があたるのだ。つまり作者の笠金村は、同じ場所を「が」「の」の二つの地名にして詠み分けたと見る。当時はそんな緩やかな言い方が可能だったと言うことである。今でも、霞が浦(霞の浦)といったような、両様の読み方のある地名があるようだが、これは時代によって呼び方が変わったというもので(池上が言っていた、双の岡、鹿の谷のようなもの)、万葉の金村の歌とは少し違うようだ。

2167、
集中の「之」の用例。題詞、左注は除く。音仮名の「之(シ)」訓字の「之(の)」は除く。地名の場合は「之(の)」も出す。
1-5、海處女等之(あまおとめらが) 燒塩乃
1-9、吾瀬子之(わがせこが) 射立爲兼
1-10、君之齒母(きみがよも) 吾代毛
1-20、君之袖布流(きみがそでふる)
1-28、天之香來山(あめのかぐやま)
1-29、畝火之山乃(うねびのやまの)
1-34、濱松之枝乃(はままつがえの) 手向草
1-40、※[女+感]嬬等之(をとめらが) 珠裳乃須十二
1-47、過去君之(すぎにしきみが) 形見
1-53、處女之友者(をとめがともは) 乏吉呂賀聞
1-60、氣長妹之(けながくいもが) 廬利
1-66、松之根乎(まつがねを) 枕宿杼
1-67、鶴之鳴毛(たづがねも) 不所聞
1-78、君之當者(きみがあたりは) 不所見
1-83、妹之當見武(いもがあたりみむ)
以上巻一、すでに言われているように、「をとめ」「せこ」「きみ」「いも」といった親しみをこめた人称に使うのが多い。それ以外では「まつ」「たづ」といった親しまれた動植物がある。地名は「が」はなく、「の」が二つ。