2087~2090

2087、
上世歌学の研究、中島光風、筑摩書房、1945、の「「歌枕」原義考證」は、歌学上の歌枕というものについて、非常に詳細に研究しているが、ざっと見たところ、地理的な観点がない。
2088、
万葉集の地形地名の中で「の」「が」「格助詞なし」の違いを見てきて、他の文献や歌枕関係まで探索を広げたのだが、結局はほとんど何も得るところがなかった。「の」は普通に付くが、付かないのがもとの形で、音数の関係で付いているのかはっきりしないが、他の文献では「の」の付かないのが普通のようであった(和歌と散文との違い)。「が」はそれと違って、付くものが非常に少ない上に、音数の上で付いたり付かなかったりではなく、「~が~」で一語として固定していて緊密な固有名詞となり、その分「が」の上の語は場所や属性の説明的な意味は薄い。
だいたいこのようなところまでは纏められた。
2089、2090
「梅が花」と「梅の花」 池上禎造 3度目の最終点検。
① 次に見方を變へてみれば單音節語を結ぶと言へようか。前の人代名詞は多くさうであつた。更に又「根・音《ネ》・枝《エ》」などを數へることができる。是等の場合の熟合度は強く「かりがね・いはがね」の如きは一語とも見られる。「いはがね」は集中の字の書き方からしても、又袖中抄あたりの記述に見ても早くから石金といふやうな語源解釋もあつたことが考へられる。地名の場合に「嶽・岡・崎・原・浦」などを結ぶにも用ゐられるが、嶽や崎の如くいづれかといへば獨立性の弱まりつつあるものに多く用ゐられるやうである。山などに用ゐられないのも注意せられる。
●「~が~」の下の方が単音節語というのは分かりやすい。地形地名に出されたものは、おおかた「~の~」であって、「が」は極めて例が少ない。そんな中で「嶽」「崎」は独立性が弱いというのは「嶽(たけ・だけ)」「崎」だけで用いられることは無いということだろう。しかし奈良県の方言では「だけ」「だけまいり」というのは普通に使う。「崎」は独立して使うときは「御崎」となるようだ。なんにしても、そういう可能性はあるが、地形地名の場合例外的なものが多く説得力に欠ける。

②かういふ用ゐ樣を見た目には卷十四や二十の防人歌は聊か異樣に感じられる。假名書の卷なるが故に目立つといふことは割引しても上述の中央の用法に加へて、鈴が音《オト》・をぐきが雉・赤駒が足掻・をどのたどりが川路・鳥が栖《セ》・紐が緒・鴨が音《ネ》をはじめ、笹が葉・朮が花・かほが花・こなぎが花・樒が花といつたものが拾はれる。即ち東國に於ては未だが〔傍線〕が相當力強いことを知るのである。殊に花の上にが〔傍線〕が用ゐられることは見逃せないと思ふ。中央に於けるもので花の上にが〔傍線〕をとる明かな例は實に前掲の「梅が花」と「瞿麥が花」とばかりなのである。
●これはその通りだろう。東日本では「が」の勢力が強い。今でもそうである。つまり西日本では消滅したような「が」の使い方が根強く残っている。

③それは萬葉よりもう一つ古い時代の語を含むと思はれる記紀其他である。大刀が緒は前述防人歌の紐が緒を思ひ出させよう。染木が汁・鮪がはたで・榛がえだ・わきづきが下《シタ》などが萬葉に於ける普通の用法に異なるものである。更に古代歌謡を傳へると思はれる琴歌譜にはをばが君・熊が爪・鹿が爪などが拾はれる。これで凡そ見當はついたわけである。萬葉集の東歌や防人歌に見えるある種の語形や言ひまはしが、一時代前の中央の言葉と一致することは今日略々認められてゐることかと思ふ。が〔傍線〕の用法もそれだつたのである。熟合度が強いこと即ち意味の緊密なる結合もそれでわからう。單音節語の相當多かつた時代のものなるが故に單音節語を接して殘つてゐるのでもあらう。
●此もその通りだろう。要するに時代差であって、万葉以前の文献などで「~が~」の下の~に単音節語以外のが来るのが目立つのは、古い時代の「が」の用法が東日本に残ったと言うことである。そしてこの3箇条で見ても、地名については証明が弱いと言えよう。この3つの引用部分で池上氏の重要な主張は尽きている。