2091~2098

2091、
万葉20号(1956年7月)、浅見徹「「廣さ」と「狹さ」――上代における連體格助詞の用法について――」
については再確認のために再読することはせず、以前纏めた部分の一部を再掲する。
「が」地名として例示されたもの。
かほやが沼、弓月が岳、藤井が原、むらじが磯
これらの固有名詞は「の」のつく固有名詞に比べて少数で、地名構成以外の例がない。同一地名で「の」「が」両形のあるのはない。
この程度ではほとんど参考にならないし、出された4例では少ない。とにかく池上論文を参考に、「が」の付く地名を点検してみよう。
①藤井が原(藤井我原)(1-52)
多田全解、○藤井が原-藤原の地に同じ。聖水の井があり藤井が原と呼ばれたか。→五〇。
阿蘇全歌講義、藤原と同地。井の傍らに藤の木があったところから呼ばれた地名か。
宮廷内の祝詞宣命あるいは大歌などの作成にかかわる者の作ではないかと思われる。中臣氏は宮廷の祭祀に携わり祝詞の作成伝誦に当った氏族であったことは確かであるから、その点で有力な候補にはなるであろう。  これは参考になる。
2092、新大系、なし。
和歌大系、前の役民作歌には「藤原がうへに」とあった。ここに「藤井が原」とあるのは藤の茂った井のある原の意で、井を重んじた言い方か。  固有名詞を勝手に作ったと言うことか。
釈注、◇藤井が原 付近に藤が茂っている井のある原、の意か。藤原と同地。
「高知るや天の御蔭 天知るや日の御蔭の水こそばとこしへにあらめ 御井のま清水」などのように、祝詞(折年祭・六月月次など)の用語に通うところがあり、古風な呪性が色濃く感じられる。ここには、ずっと神の詞章を扱ってきた人の息づかいがある。  土橋説を紹介。つまり阿蘇は釋注と同じ。
新全集、全集と全く同じ。
全注、釋注と同一。
全訳注、藤井が原を「藤井の原」と訳している。その根拠を示さない。藤井などというのは井戸そのものの普通名詞的な固有名詞だろうから、それを大きな原の名前に転用するのは無理だろう。藤井という名の原、とか、藤井にある原、とかいった意味にはならないだろう。
2093、集成、釋注とほぼ同じ。
全集、○藤井が原-藤原の井がある原の意か。  藤原の井を藤井というものか?
注釈、50の「藤原がうへに」で、「藤の木陰に良い清水が出て、それを藤井と呼び、そのあたりの野を藤井が原、又略して藤原とも云つたのかと思はれる。」という。
大系、藤井が原-藤原のこと。藤井(傍に藤のある意か)という井のあたりの原の意。  この前後の注、なぜ同じ地に同時に二つの地名があるのかの説明がない。
私注、藤原と同じ地。井水が湧いていたのでそう呼ばれたのだろう。
2094、佐佐木評釈、藤原に同じ。藤原といふのも、ここに藤井と名づける井があつたから、藤井が原といつたのを略したものと思はれる。…祝詞などに見るやうな整齊した手法で述べてゐて…
窪田評釈、50の方、○荒妙の藤原がうへに …。「藤原」は既出。古くは「藤井が原」と呼んだことが、次の歌で知られる。「が」は、「の」と似ているが、下の語を主とした場合に用いる。52の方、藤井が原の方が旧名で、藤井というのは、…井と称すべきものが、叢生している藤の中にあり、その藤は、その井を保護する物として特別に扱われていたところから、自然その井の名となり、原の方も、その藤井のあるところから、藤井が原と呼ばれるに至ったものと思われる。  なぜ50の方が新しい地名を使い52のほうで古い地名を使ったのか、説明なし。
全註釈、ここにいう藤原の宮の御井は、歌詞によるに、埴安の池の一角であつて、すぐれた景勝のもとに、清らかな水を湛えていたのでる。藤原の地をここには藤井が原と言つている。御井の歌であるからこの名を併用したのであろう。  歌によって適当に地名を変えると言うことか。地名の創作。
祈年祭祝詞に、…。
50の方、藤原は地名。次の歌には藤井ガ原とある。ガはノに同じく、接續の助詞として使用され、その下方のものが上方のものに所屬することを示す語であるが、ノに比しては、熟語として慣用される語に多く使用される。ガの方が、いわゆるくだけた言葉なのであろう。
2095、茂吉評釈、50の方、『藤原ガうへに』と、『藤原ノうへに』との比較では、ガは、上の語を主とすると解かれてゐるが、此は麁妙乃藤井我原爾(卷一。五二)などと同じく口調の關係が主だとおもふ。  ただ口調だけではどうにもならない。
52の方、僻案抄に、『此原にむかしより名井有が故に藤井が原とも云。ことに此歌は御井を詠る歌なれば藤原を藤井が原とはよめる也』といひ、古事記傳三十四に、『藤原宮はもと藤井が原と云地なればそを略きて藤原とも云しなるべし』とあるのは、此處に元から名高い清水があつて、それがフヂヰで、そのためにフヂヰガハラといふ名が出來て、それが略されてフヂハラとなつたといふので、燈・攷證・美夫君志・新考・講義等共に從つてゐる。武田博士…。或は、古義の如くに、…、藤井が原を藤原の地の一部と看做すか。併し、歌を讀めば藤原と藤井が原と同意義に使つてゐるから、やはり僻案抄を代表とする説の方が宜しきに近いのではなからうか。
金子評釈、○ふぢゐがはら 藤原とはこの藤井が原の略稱で、古くから此處に藤井と呼ばれる名高い清水があつて、遂に原の名にまで及ぼしたものであらう。
追記、茂吉は「の」「が」の違いを誤解している。窪田評釈が正解。
2096、精考、藤原の元の名であらう。よき湧き水のある所から、しか唱へられたので、藤原といふのは、その略稱であらう。
武田総釈、全註釈とほぼ同じ。
全釈、その井は藤井であり、この原は藤井が原である。 ほとんど何も言わない。
講義、藤原はこの宮のある土地の名なるが下の歌(五二)によりて藤井が原といふがもとの名なり 藤井我原 …藤原宮の地の本名なるべく、藤原といへるはこれを略して呼べるならむ。  あっさりと済ましている。祝詞に触れている。
折口辞典、藤原は飛鳥の大原(藤原)を移したものだ。藤井が原の略ではない。
2097、新考、記伝、燈に、藤井が原の略が藤原とあるが、その通り。
美夫君志、藤井が原の略が藤原。
近藤註疏、古義と同じ。別の所では、藤井が原の略が藤原とも言っている。
古義、○藤井我原は、藤原なる地(ノ)名なり、即(チ)御井ある故に、かく名を負るなるべし  祝詞に触れる。
檜嬬手、是れ本名に就きてよめるなり。藤原と云ふは省けるなり。
攷證、燈と同じ。
燈、藤井が原の略が藤原だが、ここでは井戸に関して元の名で出したのだろう。
楢の杣、藤原は藤井が原の略也
2098、略解、考と同じ。
万葉考、特になし。
僻案抄、藤原也。此原にむかしより名井有が故に、藤井が原とも云。ことに此歌は御井を詠る歌なれば、藤原を藤井が原とはよめる也。
代精・代初、特になし。
拾穂抄、特になし。
管見、特になし。
仙覚抄、特になし。
だいたい僻案抄あたりを基本として、大同小異のものが並ぶ。古義以降、祝詞にふれたり、「の」「が」に言及したりするのも出てきたが、ただ言及しただけで、それでどうなのかということは言わない。今も同じ。