2124~ 2131

2124、「ゆつきがたけ」についてはすでに何度か触れたし、人麻呂作品に「~が~」が目に付くことも触れた。ここでは触れ残したことを考えてみたい。
7-1087    詠雲
痛足河 々浪立奴 卷目之 由槻我高仁 雲居立有良志
穴師川川波立ちぬ卷向の弓月が岳に雲居立てるらし
7-1088 足引之 山河之瀬之 響苗爾 弓月高 雲立渡
あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出
10-1816 玉蜻 夕去來者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏※[雨/微]
玉かぎる夕さり來ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく
柿本人麻呂歌集
2125、すでに触れたことの中には、人麻呂が歌に詠んだりした山でも、「ゆつきがたけ」よりも遥かに高い山が、すぐ近くの、倉橋山をはじめ、金剛・葛城山があり、同じぐらいのでも、巻向山、泊瀬山、多武峰吉野山などあるが、「~が~」といったのが一つもないのは、折口説のように「たけ」は奥まったところの高い山(たいがい頂上部分が見える)という意味だからだろうということ、がある。
2126、2127、
昨日言ったように一応折口説に従ったが、今考えると、それは一般論としてそうだと言うだけで、人麻呂の「ゆつきがたけ」もそういう型の山だとも言えない。特に頂上部分が平坦でどこが最高峰とも言いにくい上に、それの中腹以下を隠すような山もない。ただ谷筋が珍しく頂上に向かって切れ込んでいるというだけだ。やはり何か人麻呂特有の文学的な虚構というか形象があって、「ゆつきがたけ」という珍しい山の名前にしたのだろう。だいたい「ゆつき」というのが、格助詞「が」で「たけ」に密着しているのはいいとして、どういう意味なのかはっきりしない。もちろんそのあたりは、巻向、穴師、三輪、初瀬であって、「ゆつき」などという知られた地名はない。由槻、弓月、という表記がされているが、なにかその頂上部に、槻の木や半弦の月に関する個人的な強い思い出があって、それで人麻呂が作り出した名前かも知れない。古風な荘重さをあらわすために、特に「~がたけ」としたのだろう。地元の人が普通に呼ぶ名前としては特殊性(文学性)が強すぎる。というか、個人的な体験以外に、その山に関する一部の人達の宗教的な関わりがあるのだろう。たとえば大峰山などは、修験道関係の人たちには、山上が岳、釈迦が岳をはじめいろんな「~がたけ」があるが、そういうものに関係しない人には、ただの、吉野山大峰山である。そして実際に登山するのは修験道関係の人が多い。
人麻呂の場合、地元の人の宗教的な関わりというより、個人的な命名であろう。宗教性を感じるような目立つ山ではないのである。
2128、
7-1088の茂吉「柿本人麿」評釈篇から。
若し私等のやうにアシビキノ。ナベニ。ユヅキといふ具合に濁音を入れて吟誦すれば、濁音の多い歌で、歌柄を大きく太くしてゐる。濁音の效果は實にかういふところに存じてゐるのである。…、そして第四句の、『弓月が嶽に』で、『の』といはずに、『が』の入つてゐるのは一轉化した微妙な調和であり、また、『に』音が二つ其處にあるのも、潜勢をもつて押してゆく調子である。
茂吉特有の声調論だが、「ゆつきがたけ」の「が」に注目した数少ないもの。ただし茂吉は、「ゆつきがたけ」の三首について、地名としての働きや「が」の意味については何も言わない。茂吉ほどの人でも先学の研究水準から抜け出すのは大変だ。
2129、
茂吉が赤彦を是非読めと言うので読んでみた。茂吉とほぼ同じ、声調論だけ。弓月が岳への言及もない。
2130、
武田祐吉國文學研究・柿本人麻呂攷、1943.7.25、大岡山書店。
これもなかなか有名なもので、何度目かに今回読んで、あらためて感心した。第二 柿本朝臣人麻呂歌集の研究(下) 一 柿本人麻呂の妻(164頁~210頁)。
人麻呂歌集には巻向関連の歌が多数あり、他に例のないものである。これは人麻呂が妻を巻向に住まわせて(妻の実家があったか)、1年前後通い、泊まったりしたからであろうというのである。武田自身もまるで伊勢物語のような歌物語だと謙遜しているが、その観点からの歌の解釈は非常なリアリティがある。46頁にわたる長大なものだから簡単には紹介できない。しかし残念ながら、地名「弓月が岳」については「尊い槻の老樹でもあつたものか」、「弓月と書いてあるのは佳字を宛てたのであらう。」といった程度の言及しかない。妻の実家でも1年前後通えば、もう自分の古里のようなものだ。まわりの自然には非常な愛着を感じるだろう(特に人麻呂の場合)。そういうところでこそ、「が」という狭い範囲に限定した地名に使われやすい格助詞が使われるのだろうと思う。 
2131、
最後に大井と北島を見て弓月が岳を終わろう。
大井重二郎、萬葉集大和歌枕考、巻向の弓月嶽の由來を辰巳利文氏は「三輪山とあなし山との中間にまきむく山の最高峯があたかも半月形にながめられる」と云ってゐるのは牽強の説である。弓月は五百槻即ち槻の木の群生せるより出でたものと考へるのが至當である。  他は特になし。
北島葭江、萬葉集大和地誌、穴師や兵主は内藤湖南のいうように中国伝来のものだろうし、弓月は日本に帰化した弓月君と関係があろう、と言っているが、具体的に巻向と結びつけうるものがない。「~が岳」についても触れるところがない。