2230~2235

2230、
セミナー万葉の歌人と作品、第六巻、金村千年福麻呂、2000.12.25
笠金村論 身崎壽
同じシリーズものの中にあっても、さすがに主役の書くものは違う。この人らしく、研究史への目配りの広さと、その理解の確かさは抜群だ。犬養、清水、梶川、橋本、風巻、伊藤といったあたりの紹介が詳しい。というか詳しすぎて、おおかたそれの紹介に終わった感じだ。結局、通説をなぞり、それに少し尾ひれをつけたと言ったことになる。だから大方行幸歌、特に吉野讃歌を論じている。金村なりの讃歌の方法として、漢詩に対抗した「情」の世界を歌ったというのが結論になっている。
2231、
論集上代文学 第二十七冊、笠間書院、334頁、9000円、2005.7.15
笠金村と万葉集巻十三 曽倉岑
金村の方が巻十三より明らかに先行していると思える作品が数首あることを、表現の中身から検証したもの。金村の文学性とは関係がない。
2232、
論集上代文学 第三十一冊、笠間書院、329頁、8800円、2009.4.30、
笠金村の「天地の神」    曽倉岑
宣命の「天地の神」の基本的性格として、祈願によることなく、天皇に、恩恵を与える、の三点を指摘することができる。…。その中で金村の例は宣命に近いと言える。二首共行幸従駕の作であり、歌の場が天皇従って宣命に関係の深いものであることがまず注意される。
つまり一つの句の解釈をあれこれと穿鑿したもの。
2233、
万葉の風土と歌人、編著者、犬養孝、1991.1.20、320頁、3880円
笠金村と紀伊     村瀬憲夫
だいたい、犬養と梶川を下敷きにして、ちょっと味付けをした程度のもの。その味付けもたいしていいものでもない。真土山と妹背山だけで紀伊国名所図会とはちょっと大げさだ。

笠金村・高橋虫麻呂田辺福麻呂 人と作品、中西進編、おうふう、268頁、2800円、2005.9.25
笠金村をさぐる――出自と経歴―― 村山出
身崎氏も言っていたが、こういうのは文学研究ではない。村山氏の他の金村論文は必読のものらしいが、残念ながら近くの図書館にない。
2234、
有精堂、萬葉集講座、第六巻 作家と作品Ⅱ、1973年 
笠金村と車持千年     山崎馨
金村の長歌には反歌二首を伴うものが多く、うち一首は長歌を直接受け、他の一首は間接に受ける、という傾向がある。反歌一首のものは越路の二首で、独立短歌が越路関係のものだけであることとともに興味深い。
山崎氏らしいというか、歌の外形を確実に抑えていくという方法だ。越路長歌反歌との関係がもっと具体的に説かれていたら良かったのに。
2235、
赤ら小船 万葉作家作品論 1986.10.15
金村の歌一首――巻三・三六七番、 初出1965.4
これは手結が浦の長歌の「すべなみ」だけを論じた短い論文だ。この長歌だけを論じた珍しいものだが、「すべなみ」だけを手がかりにしているのは物足りない。

異郷の好風景も、あえぎつつ行く大和戀いの旅人の眼には、詮ないもの、心ひかれぬものとして映じよう。先にも引いた三六七七番の歌とも同様に、美景であればあるだけ、それを見るしるしなし、見るに詮なしと訴えることによって、望郷の旅情をそれだけ強調することになる、そういう發想であろうと思われる。これが萬葉の旅の歌のひとつの型ではあるまいか。

そもそもここまで望郷の念が強いのなら、異郷の好風景という認識すら持てないのではないだろうか。苦しい旅で見るから好風景も無駄だというのなら、そこに住むしかない。住んでしまうともはや好風景にならない。異郷の苦しい旅だからこそ好風景に出会える。それにつけても独りで見るのはもったいない。家郷の人達はどうしているだろうか。できたら見せてやりたいものだ。というのが万葉の旅の歌の型ではないだろうか。