2218~2223

2218、
長歌(366)の方には人麻呂の旅関係の歌に似た所がある。
地名、手結が(の)浦、は、ただそこがそう言う地名地名だったと言うだけかも知れないが、人麻呂41番歌の「釼著 手節乃埼」を思わせる。金村のも「大夫乃(ますらをの)」という枕詞がついていた。人麻呂は大宮人の女性だったが、こっちは塩焼きの娘で、庶民的だが。時代の変化であろう。
2219、2220、2221、2222、2223
鹿乃濱從 大舟爾 眞梶貫下 勇魚取 海路爾出而 阿倍寸管 我榜行者…
2-220、中乃水門從 船浮而 吾榜來者…
cf、8-1453 天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈入唐使歌一首并短歌
…難波方 三津埼從 大舶爾 二梶繁貫…

…懸而之努櫃 日本嶋根乎
2-255、天離 夷之長道從 戀來者 自明門 倭嶋所見
cf、15-3608では5句目が家のあたり見ゆ
3-303、名細寸 稻見乃海之 奥津浪 千重爾隱奴 山跡嶋根者
304、大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念
cf、15-3648宇奈波良能 於伎敝爾等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無
cf、20-4487伊射子等毛 多波和射奈世曾 天地能 加多米之久爾曾 夜麻登之麻禰波
時代別、やまとしま、大和を中心とする地方を島として把握していう。海から見ていうことが多い。ヤマトシマネとも。
岩波古語、やまとしま、大和国の山々。海上からあたかも島のように見えるのでいう。
やまとしまね、①「やまとしま」に同じ。②日本国の別称。
藤原仲麻呂の4487の歌を見ると、岩波古語が②をたてたのは当たっているように見えるが、仲麻呂のいう大和は日本国全体ではなく、大和を中心とする地方のことだとすれば、時代別でいいことになる。海から見た時のが多いが、仲麻呂の歌にもあるように、大和の中にいても、島だと認識することは可能だろう。それよりも、神話的な発想で、国生みで生まれた大和の島(秋津島)といったのかも知れない。人麻呂の304に神代とある。そういう点からも、金村には人麻呂を受け継いだものがある。それが全体に言葉だけで散文化したのが金村だろう。その金村も、反歌では、ただの「日本(やまと)」といっているのは、やはり長歌の叙事的散文的なのに比べて、反歌が抒情的で、おだやかな和歌になっている証拠でもある。