2294、耳我嶺考(継続中)

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「その山道を」の「その」について。
●註釋、拾穂抄、代匠記、考、略解、攷證、井上新考、講義、全釈、武田全註釈、佐佐木評釈、説明なし。
●菊地精考、読者の判断に任せる(要するに説明できないと言うこと)
●檜嬬手、美夫君志、折口口訳、次田新講、窪田評釈、説明はないが、それとなく吉野の耳我嶺山中の道と取れるように書かれている。
伊藤左千夫新釈、武田総釈、金子評釈、吉野の山道。窪田と似ているが、具体的に、吉野山の最高点(青根が峰のことだが、金峯山と混同している)あたりの道とする。
●燈、古義、近藤註疏、耳我嶺の山道と明言。
●安藤新考、聞えたり。
管見、僻案抄、吉野山の山道(天武は宮瀧ではなく吉野山に入ったと見なしている)
高木以前と思われる注釈書を見ても、耳我嶺の山道とその山道を別とする説はない。また、天武がたどった道をいわゆる金峯山の山道とする説がいくらかあるが、それが完全に間違った説であることに気付いていない。主な注釈書類が未詳としているのがやむをえないところだろう。
ついでに、高木以後の説も見る。
●全解、全歌講義、新大系、和歌文学大系、全訳注、古典集成、古典全集、古典大系、説明なし。
●沢瀉注釈、耳我の峯の山道。ただしその耳我の峯は未詳。
●私注、耳我の山道。今の、細峠、龍在峠一帯。
●釋注、伊藤全注、説明なしだが、耳我の峰を芋峠一帯かとする。
●新編全集、飛鳥から芋峠を越えて上市、宮瀧までの道。地名の注釈では耳我嶺を未詳とする。ただし芋峠あたりを耳我嶺とするかしないかについては説明なし。本体の注釈と付録の地名説明とが矛盾している。本体の注釈を取るとしても、芋峠を耳我嶺と見なしているのかどうか全く不明。
相変わらず未詳とするするのが多いが、土屋説に影響されたらしい伊藤説などが、ようやく、天武の越えた山道を金峯山の山道とするのは地理的におかしいことに気付いたようだ。ただし、以前にも言ったように、私注、釋注、伊藤全注、新編全集の説は成り立たない。結局、耳我嶺の山道と、その山道とは別だとするしかないのだが、そう言う説はない。いったい高木は何を見たのだろうか。
ところで、「その雪」「その雨」「その山道」の「その」を殆どの注釈書は「その」と訳しており、所謂文脈指示とするのだが、新大系は最後の「その」を遠称として、「あの」と訳す。これだと、「その」が三つ連続するのを一種のリズムととらえ、「その山道」の「その」も文脈指示だとする通説とは違って、イメージの中の遠称となって(回想)、「その山道」の「その」は耳我嶺の山道ではない、別の山道だという理解に無理がなくなる。