2297、耳我嶺考(継続中)

2297、
381    筑紫娘子贈行旅歌一首
思家登 情進莫 風候 好爲而伊麻世 荒其路
家思ふと心進むな風まもり好くしていませ荒しその道

西宮全注巻三。、訳「…。大和への道は荒いですよ。」注、「「都に帰る道」をさし、…」。
これも文脈指示だろうが、四句までに指示されるものがない。といって過去の体験に存在する観念上のものでもない(だから、「あの」とも訳せない。)了解済みの事項ということだろう。歌を贈った相手が大和への道をたどることを了解した上で詠んでいる。

392    大宰大監大伴宿禰百代梅歌一首
烏珠之 其夜乃梅乎 手忘而 不折來家里 思之物乎
ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず來にけり思ひしものを(李長波氏の引用したもの)

新編全集の訳。(ぬばたまの) あの夜の梅を…。
西宮全注巻三の訳。あの晩に見た梅を…。注、「その夜」は、特定の夜、例えば「宴会のあった、あの日の夜の」という意を表わす。
訳はどちらも「あの」だが、「その」の文法上の説明はない。「特定の夜」といっても、共通の了解事項ではなく、先行文脈にあるのでもない。自分個人の過去の体験の時間を「あの」と言っているだけである。天武の25番歌に近い。

401    大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首
山守之 有家留不知爾 其山爾 標結立而 結之辱爲都
山守のありける知らにその山に標結ひ立てて結ひの恥しつ
西宮全注巻三の訳。山番がいたとは知らないで、その山に標縄…。
「あの」とは訳していない。もちろん譬喩だが、山守のいる山を、「その山」といったのだから、全注では何の説明もないが、ほぼ典型的な文脈指示。新編全集の訳。「あの山に」。

403    大伴宿禰家持贈同坂上家之大孃歌一首
朝爾食爾 欲見 其玉乎 如何爲鴨 從手不離有牟
朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ
西宮全注巻三の訳。「その玉を」。説明なし。新編全集の訳。「あの玉は」。説明なし。これは共通の了解事項とでも言ったものだろうか。題詞に「贈」とある。

408    大伴宿禰家持贈同坂上家之大孃歌一首
石竹之 其花爾毛我 朝旦 手取持而 不戀日將無
なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
西宮全注巻三。注、ソノは強く指示する用法。直接には訳されていない。
新編全集。説明なし。直接には訳されていない。 要するに文脈指示の一種だろう。

409    大伴宿禰駿河麻呂歌一首
一日爾波 千重浪敷爾 雖念 奈何其玉之 手二卷<難>寸
一日には千重波しきに思へどもなぞその玉の手に卷きかたき
西宮全注巻三の訳。「あの玉が」。新編全集の訳。「あの玉は」。403番と同じ「その玉」で、新編は相変わらず「あの」と訳すが、西宮は、「その」が「あの」になり、一貫性がない。

619    大伴坂上郎女怨恨歌一首并短歌
…磨ぎし心を ゆるしてし その日の極み…
木下全注巻四の訳。「心を解いてあなたに捧げたその日からというものは」説明なし。
新編全集の訳。「緩めてしまった あの日からというものは」。説明なし。これも文脈指示か。まだ全部見たわけではないが、新編は「その」を、全部「あの」と訳す方針のようだ。これでは25番歌で、「あの」と訳したのに25番歌だけの根拠があるように思ったのは、取り下げなければならない。時間があれば、新編の「その」の訳だけでも全部見てみよう。

702夜干玉之 其夜乃月夜 至于今日 吾者不忘 無間苦思念者
ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば
木下全注巻四の訳。「あの晩の月を」注、「その夜の月夜 このソノは遠称的用法。」
新編全集は、木下全注と全く同じ。遠称といっても、観念上の過去の体験のことだろう。時間だから、遠くを指さして「あの」と言ってるのでないことは言うまでもない。

948、千鳥鳴く その佐保川
吉井全注巻六の訳。「あの佐保川で」、説明なし。新編も同じ。了解事項の指示か。

1751、君が見む その日までには
金井全注巻九の訳。「ご主人様の帰りの日までは」、説明なし。新編全集の訳。「あなたがご覧になる その日までは」、説明なし。

新編全集の読み。
「あの」4、25、26、392、401、403、409、567、619、702、703、730、923、948、1467、1614、1756、1780、1792、2184、2348、2354、2485、2867、3269、3303、3386、3845、3978、4000、4014、4239、
32例
「その」25、26、159、217、319、320、337、372、709、1009、1093、1122、1326、1417、1478、1615、1738、1751、1754、1759、1809、2027、2089、2273、2516、2551、2569、3243、3272、3293、3586、3840、3385、4011、4054、4070、4106、4111、4122、4125、4126、4164、4248、4465、4467、4469
46例
文脈による訳(あるいは訳さない)、381、408、1357、2407、2849、2948、3411、3742、3814、3815、3953、4094、4113、
13例
「あの」、0~100、3例。101~1000、11例。1001~2000、5例。2001~3000、5例。3001~4000、6例。4001~最後、2例。
「その」、0~100、2例。101~1000、7例。1001~2000、12例。2001~3000、6例。3001~4000、6例。4001~最後、13例。
全部で、91例(25、26は一首内で「あの」「その」が出る。同じものが重複するのもあるが数えなかった)あったので、予想よりはるかに多かった。「その」の方が相当に多いのも予想外だった。当然ながら、ちゃんと歌の意味を考えて訳しているわけだ。表立って訳していないのが13例というのも予想より多い。「その」は、明らかに「その」としか訳せないものがかなりあった。単純な先行文脈指示といったもので、単調な、散文的な表現になりやすいようだ。「その」の4001以降の多さが語っているように思う。そこには家持の長歌が多かった。単調で平凡で説明的散文的といった評価が普通だ。「その」と訳したのでも「あの」と訳せるものがあり、「あの」と訳したのでも、「その」と訳せるものがある。歌の味わいは変わるが、必ずどちらかでなければならないという根拠もない。だから、新編が「あの」と訳したのを「その」と訳す注釈書類も多い。遠称的な「その」と解釈して「あの」と訳したのが散見するが、「あの」と訳せば、少し離れた間隔が生じるから、情感のこもった思い入れの深い歌になる。だから、過去のある時の体験を叙するようなこともある。「あの」と訳せるものでも、「その」と訳せば、散文的叙述的になり、淡泊な味わいになる。だから、どちらに訳すかは、解釈者の主観にまかされるということにもなる。耳我嶺の場合も、「その山道を」では、単純な先行文脈指示で、雨や雪の降っていた耳我嶺の山道を、で、叙述的散文的な味わいになる。「あの山道を」では、鮮やかな記憶と共に思い出される、過去に辿った山道で、情感のこもった追憶というふうに解される。しかしすでに言ったように、「あの」と訳しても、耳我嶺の山道と解される可能性はある。それでも、耳我嶺でない、別の山道(飛鳥吉野間の峠道)とする方が妥当だということもすでに言った。
以上で、長々と続いた、耳我嶺考の下調べははほぼ終わった。まだ参考的なものが少しある。