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今まで何度か耳我嶺には触れてきたし、字足らずの調査で注釈書の読みを全部調べたこともある。繰り返しになる部分もあるだろうが、久し振りに全部見てみよう。といってもこの山については、もう何十年も前から幾度か未定稿にしているが。

仙覚抄、「クマトイフハ、ヤマノユキアヒテ、イリタル所也。」のあと、非時《トキシク》について、書紀垂仁紀の田道間守の話を長々と引用している。この二語の語釈だけ。
管見、「くま」ごとに心を留めた、といい、吉野山をほめた歌とする。
拾穂抄、「くま」も落ちぬ物思いは、書紀によるに、壬申の乱以前の吉野入りのときに大事を思ったもので、歌で雪を言うのは、吉野入りの季節と一致する、という。
代精・代初、「くま」の語釈。終わりの三句が本意で、早く着きたいという路次の思い。
僻案抄、名山吉野山を早く見たいと、その山で雨雪が絶えず降るように絶えず思いながら行ったということ。編者は恋の歌と見たようだが、書紀にあるように(長々と引用)治乱を思いながら行ったと言うこと。「来」は「こし」とよむ。吉野に着いてからの回想。或る本の方「山」とあるが「嶺」の方がよい。高山は「嶺」という。最初の訳とそのあとの解説とが一致しない。解説の方が本意のようだが。
万葉考、別記にまで出して耳我嶺の地名考証をしている。今までにない態度である。なぜ真淵は執着したのか、不思議だ。しかも、耳我は御缶《ミミカ》の借字で、御美我嶺《ミミガネ》というべきを、常には美我嶺《ミガネ》とだけいい、それが御金と誤解されたのが、巻十三の御金の岳で、後に金の御嶽と呼ばれたのだという。ずいぶん回りくどいだけでなく、論理のあわないところもある。缶《ミカ》のような形からきた命名だというのはあり得ない事ではない。どういう形かよく分からないが、各地にある、鉢伏山とか鉢ヶ峰の鉢のような形だとしたら、大峰の弥山は大きな鉢を伏せたように形に見えない事はない。しかし、その「ミカ」がなぜ理由もなく「ミガ」になり、「ミガネ」とも呼ばれるようになるのか。ミ・ミガの美称のミが略されてミガともなり、それがミガ・ネとなったとき、今度は、ミ・ガネと分節され、そのミが美称になり、ガネが金になる。なんとも、表記も分節も濁音も、融通無碍、好きなようにいじくり回す。これでは信頼性が無いと言われても仕方がない。それに、歌の主旨というのが、吉野山中の名峰で雪のよく降る高山の、いわゆる後世の、金の御岳の面白いところを隅々まで見ながら来るというのである。ちなみに、「来」は「こし」ではなく「くる」と読んでいる。それだと、近江から吉野の宮瀧まで行くのに、大峰の高山の山中を見て行くというのだから、到底理解不能の大迂回になる。完全にあり得ない事である。遠望ではなく、その山中を実際に歩くなどということは、歌の解釈はともかく、現実には設定できない状況なのだ。「耳我嶺爾(ミミ・ガ・ノ・ミネニ)」を「御缶嶺爾(ミ・ミガ・ノ・ミネニ)」の借字だとする説は、真淵の信奉者の二、三の注釈者が賛成しただけで、今はかえりみるものすらほとんどない。