2132~2136

2132、
次は吉志美我高嶺(385)。
2133、
此も何度か見たはずだし、全部調べても無駄なので、新大系、新編全集、阿蘇全歌講義だけを見る。
新大系 仙の柘枝の歌三首
385 (霞降り)吉志美が岳が高く険しいので、草取り「かなわ」、私は妹の手を取る。
 右の一首は、或る本には「吉野の人味稲が柘枝の仙媛に与えた歌である」とも言う。
 但し、柘枝伝にこの歌は見えない。
∇左注の「柘枝伝」という書は、柘枝媛の伝説に中国小説的な潤色を加えた漢文体であったと思われるが、今は伝わらない(小島憲之「失はれた柘枝伝」『上代日本文学と中国文学』)。「柘」は山桑。懐風藻には吉野の柘枝媛の伝説を詠んだ詩が八首ある。その詩句から、吉野川の梁にかかった柘の枝が美人に化し、土地の漁師の美稲()と相聞の歌を交わしたという筋が推測できる。万葉集のこの歌は、左注に「味稲」が仙女に与えた歌と伝える。「吉志美が岳」は、所在未詳。仙覚の万葉集註釈三所引の肥前国風土記逸文には、…。
吉志美我高嶺 未詳.佐賀県杵島郡白石町の杵島山かという.
●新編全集、やや簡単だが新大系と同じ。
○吉志美が岳-所在未詳。民謡が伝播する時に地名がすり替えられることもあるが、原地名のままで伝わることもある。
阿蘇全歌講義、肥前国の歌垣の歌が転用されたのだろう。
吉志美が岳 吉野山中の一峯であると考えられるが、今のいずれか不明。
2134、
ここで面白いのが、 「吉志美が岳」九州説と大和吉野説にわかれていることである。新大系は未詳としながら佐賀県杵島山かとする。新編全集は、吉野の味稻伝説だが、もとの民謡の地名がそのまま転用されたと見る。つまり佐賀県杵島山説である。阿蘇は、佐賀県杵島山の歌が転用されるとき、吉野の山の「吉志美が岳」が使われたのだろうとするわけだ。ただどれもが言うように、吉野にそんな山は過去から現在までありそうにないということ。やはりあまりに佐賀県杵島山の民謡が有名なために佐賀県の地名をそのまま使ったというのが真相だろう。それに吉野川の漁師のような味稻が「吉志美が岳」を女と二人で登って草を取らないで妹の手を取るというのも、伝説の主旨とは全然関係のないとってつけたような話だ。
2135、ここでまた大和万葉地理を見ておきたいが、以前阪口を忘れたので、それも追加。
大井重二郎、萬葉集大和歌枕考、項目無し。言及すらしない。
北島葭江、萬葉集大和地誌、項目無し。言及すらしない。
阪口保、萬葉集大和地理辭典、項目無し。言及すらしない。
見事に無視されている。ついでに犬養を見たがこれも完全無視。はてさて阿蘇はどこから吉野説を出したのか。
2136、
ところで、佐賀の場合として、なぜ杵島が岳なのか。九州は観光でいろいろ行ったが佐賀県だけはゼロ。杵島山と言ってもそう高くもない連山らしい。犬養、万葉の旅(下)の杵島郡に、吉志美が高嶺、を出して、白石町の杵嶋山(342m)、ここの歌垣の歌が吉野の柘枝伝説に流伝混入したものであろうとある。この程度の高さで岳は大げさでもある。歌垣の山として関係者には特に親近感があり、神の守る彼等だけの限定された山という感覚から密着感のある「が」を使ったか。あるいは万葉の場合「高千穂」を除いてほかにないが、現在は、他地域に比べて、九州は「~が岳」が多い。その遠い祖先のようなものか。とにかく、吉野の歌人達が万葉集に詠んだときには、遠くの地方の古風で名高い民謡の地名として動かし難いものがあったのだろう。