2281、耳我嶺考(継続中)

2281、
訓のみ表記の地名では、表記が地名の語原を示すものが多いが、そうでない、いわゆる当て字も結構ある。興味をひくものもあるが、本筋からはなれるので割愛するとして、訓として出した、「越(をち)(194)、越(をち)野(195)」は「をち」というのは、「かなた」という意味らしいので、もし「をち」が訓読みなら、問題ないが、「越」という漢字に、「かなた」という意味はないようだし、「えつ」と読めば明らかに音だから、「をつ」というのも、音のように思える。そうすると、訓のみではなく音のみの地名となる。194の山田講義に「舊訓「コスノオホノノ」とよみたり。代匠記に「ヲチノオホノノ」とよめり。…代匠記の説をよしとす。「越」を「ヲチ」にあてたるは字音を用ゐたるなり。」とあって、字音とある。よって、音のみ地名に移す。
音のみの地名の場合、国名が目立つ。
伊勢(いせ)(81、162、163)、讃岐(さぬき)(220)、信濃(しなぬ)(96、97)、對馬(つしま)(62)
わずか4例ながら、現在まで使用され続けた二字の表記になっており、律令国家完成期の信頼感と安定感がある。題詞左注に広げればもっと増えるのは当然。訓のみでも、
石見(いはみ)(131、132、134、135、138、139)、淡海(あふみ)(29、50、153)、
があり、淡海は後に近江という表記に変わったが、これらも地名らしい地名になっている。これらに比べると、都のあった「大和」が不安定で、「大和」という表記も例外的に歌でないところで一つ出ただけ。こういう国名表記については、日本史の方で研究されている。音のみでは、国名以外でも、安定した二字の表記になっているものがある。
巨勢(こせ)道・山・(50、54、56)、佐保(さほ)川(79)、志賀(しが)(206)、難波(なには)方(229)、奈良(なら)(17)、寧樂(なら)(80)、不破(ふは)山(199)、
よく知られた地名だけに、だれもが同じ表記にしたのだろう。ただし「寧樂」に見られるような文学的な興味をねらった表記も出て来る。
安良礼(あられ)(65)、阿礼(あれ)乃埼(58)、伊奈美(いなみ)(14)、伊良虞(いらご)能嶋(24)、左散難弥(ささなみ)(31)、佐太(さだ)乃岡(177、187、192)、
などは、適当な表記ができなかったのだろうか、仮名書き的になっている。訓のみの場合でも、隠(なばり)、内(うち)などの一字地名がある。
とにかく、訓の場合も、音の場合も、意味を表したり、漢語的にしたり、一字一音の仮名書き的にしたり、で、統一感があるが、音訓混用の場合は、安定感がなくなるはずである。もう一度出してみる。
●音訓混用、
阿胡根(あごね)能浦、音音訓(12)、伊良籠(いらご)荷四間、音音訓(23)、宇治間(うぢま)山、音音訓(75)、雲根火(うねび)音訓訓(13)、許湍(こせ)、音訓(54)、佐田(さだ)乃岡(179)音訓、和多豆(にきたづ)訓音音(131)、耳我(みみが)嶺?(25)、訓音、耳我(みみが)山?(26)、和射見(わざみ)我原(199)音音訓、
このうち雲根火はすでに見た。音訓の構成を見ると、
アゴ根、イラ籠、ウヂ間、ウ根火、コ湍、サ田、ワザ見
といったように、音で始まって訓で終わるのが多い。その訓の部分は地名によくある接尾語的な語になっている。~根、~間、~見というのは意味は良く分からないが、地名によくある。コ湍、サ田、などは、文字通りの意味だろう。小さい瀬であり、小さい田だ。イラ籠はよくわからない。雲根火は謎のような遊びのような表記か。
これらに入らないのが、
和多豆(にきタヅ)、耳我(みみガ)嶺?、耳我(みみガ)山
で、訓が先になり、音があとになっている。しかもその音の部分の意味がわからない。耳我の場合は、訓のみの所にも入れて置いたように、訓一字が地名の本体で、我(ガ)は助詞とすれば問題ない。和多豆(にきタヅ)は、ワタヅと読めば、音のみの地名となって問題ない。
131の和多豆(にきタヅ)は、ワタヅとも読めるのだが、どうなっているのだろうか。
●和多豆(にきたづ)、
多田全解、異伝一三八歌には「柔田津」とある。「津」は港。穏やかな港の意。
阿蘇全歌講義、ワタヅと訓み、江津市波津町の江川付近とする説もある。
新大系、「和多豆(にきたづ)」は、地名か、穏やかな津を言う普通名詞か不明。
釋注、よく耕された豊麗な田のある港の意らしいが、所在未詳。
新編全集、江津《ごうつ》市の付近であろうが、所在不明。原文「和多豆」の和を音仮名と見、ワタヅと読んで同市|渡津《わたづ》とする説もある。
全訳注(中西)角(つの)にある豊饒な田という意味の和田という所の港。
●和多豆《わたづ》 
和歌大系、「和多豆」をニキタヅと訓む説もある。一三八歌に「柔田津」とあるのと同じと見るのであるが、「或本歌」の地名と本文歌の地名を同一視しえないことは高角山(一三二)と打歌山(一三九)との場合から察せられる。柔田津は現実に存在した地名、和多豆は創作された地名であろう。
稲岡全注、同じ著者の和歌大系の説を、詳細に説いている。いまのところこれ以上のものはない。過去の、ワタヅ、ニキタヅ説の分類も詳細であり、ここで私が繰り返すことはないようだ。和をニキと訓読させ、そのあとに多豆という音仮名を連続させるような、音訓交用表記の地名はあり得ないという。宣長が玉の小琴で、多豆が音だから、和も音で読むべきで、4音に読むべき句だ、と言っていると紹介しているが、さしずめ私が考えたのはそこまでで、稲岡氏は、全巻にわたる音訓交用単語の調査から、結論されるのだから、信憑性が高い。また地理的な前後によって、ニギタヅと読む、沢瀉の説は方法として脆弱だとも言う。
稲岡氏が、ワタヅ説として紹介されたもの。古義、註疏、新考、講義、全註釈、茂吉評釈編、佐佐木評釈、窪田評釈。