2278、2279、耳我嶺考(継続中)

2278、
古代地名に、音訓混用というのは少ないと言われる。万葉集にも例外的にあるのは以前に触れたと思うが、耳我嶺の耳我(みみが)というのが、訓(みみ)+音(が)の音訓混用で、例外的だということは今まで見てきた注釈類で触れたものが一つもない。不思議な話だ。巻1、2について、再確認しよう。題詞左注は除く。音訓の区別が微妙なものは再考する。~+格助詞+地形名、時は~の部分だけを問題にする。
●訓のみ、
秋津(あきづ)(36)、淺鹿(あさか)乃浦(112)、吾妻(あづま)乃國(199)、淡海(あふみ)(29、50、153)、網(あみ)之浦(5)、石(いし)(224、225)水・川、泉(いづみ)乃河(50)、磐代(いはしろ)(10、143、144、146)、磐白(いはしろ)(141)、石見(いはみ)(131、132、134、135、138、139)、五十等兒(いらご)乃嶋(42)、内(うち)(4)、兎道(うぢ)(7)、氏(うぢ)河(50)、打歌(うつた)山(139)、畝火(うねび)之山・乃山(29、52、207)、大嶋(おほしま)嶺(91)、大津(おほつ)(29)、大伴(おほとも)(63、66、68)、大原(おほはら)(103)、鏡(かがみ)山(155)、橿原(かしはら)(29)、香来(かぐ)山・山之宮(28、199)、神(かみ)岳(159)、鴨(かも)山(223)、辛(から)碕(30)、辛(から)乃埼・埼(135、152)、軽(かる)(207、207)、木(き)路・(35、55)、樹(き)(55)、象(きさ)乃中山(70)、木上(きのへ)宮(199)、子(こ)嶋(12或云)、木旗(こはた)(148)、狭岑(さみね)之嶋(220)、住吉(すみのえ)(65、121)、高師(たかし)能濱(66)、高角(たかつの)山(132、134)、高野原(たかのはら)(84)、高圓(たかまと)(230、231、233)・山、橘(たちばな)(179)、立田(たつた)山(83)、田上(たなかみ)山(50)、手節(たふし)乃埼(41)、津(つ)(138)、角(つの)(131、138)、中(なか)(220)、隠(なばり)乃山・(43、60)、平(なら)山(29)、楢(なら)(79)、熟田(にきた)津(8)、柔田(にきた)津(138)、丹生(にふ)乃河(130)、野(の)嶋(12)、羽易(はがひ)(210、213)乃山・山、泊瀬(はつせ)山・(45、79)、埴安(はにやす)(52、199、201)、引手(ひきて)乃山(212)、引出(ひきで)山(215)、引馬(ひくま)野(57)、日之隈(ひのくま)(175)、姫(ひめ)嶋(228)、衾(ふすま)(212、215)、二上(ふたがみ)山(165)、藤原(ふぢはら)(50、53)、藤井(ふぢゐ)我原(52)、真神(まかみ)之原(199)、亦打(まつち)山(55)、圓方(まとかた)(61)、真弓(まゆみ)乃岡(167)、檀(まゆみ)乃岡(174)、檀(まゆみ)岡(182)、御笠(みかさ)山(232)、三笠(みかさ)山(234)、御津(みつ)(63)、耳(みみ)我嶺?(25)、耳(みみ)我山?(26)、耳梨(みみなし)・山(13、14)、耳為(みみなし)(52)、三輪(みわ)・山(17、18)、室上(むろかみ)山(135一云)、屋上(やかみ)乃山(135)、山科(やましな)(155)、山常(やまと)、八間跡(やまと)(2)、山跡(やまと)(91)、山邊(やまのへ)(81)、吉野(よしの)(25、36、37、52、74、113)、芳野(よしの)(26、27)、芳野(よしの)川・河(38、119)、吉隠(よなばり)(203)、猪養(ゐかひ)乃岡(203)、越(をち)(194)、越(をち)野(195)、渡會(わたらひ)(199)、渡(わたり)乃山(135)、
●音のみ、
阿騎(あき)(45、46)、安良礼(あられ)(65)、阿礼(あれ)乃埼(58)、伊勢(いせ)(81、162、163)、伊奈美(いなみ)(14)、伊良虞(いらご)能嶋(24)、宇※[こざと+施の旁](うだ)(191)、香具(かぐ)山(2、52)、高(かぐ)山(13、14)、木※[瓦+缶](きのへ)(196)、巨勢(こせ)道・山・(50、54、56)、左散難弥(ささなみ)(31)、佐太(さだ)乃岡(177、187、192)、讃岐(さぬき)(220)、佐保(さほ)川(79)、作美(さみ)乃山(221)、思賀(しが)(30)、志賀(しが)(206)、志我(しが)(31、215)、四賀(しが)(152)、信濃(しなぬ)(96、97)、勢(せ)能山(35)、對馬(つしま)(62)、難波(なには)方(229)、奈良(なら)(17)、寧樂(なら)(80)、一云比良(ひら)(31)、不破(ふは)山(199)、美(み)津(68)、乎知(をち)野(195一云)、
●音訓混用、
阿胡根(あごね)能浦、音音訓(12)、伊良籠(いらご)荷四間、音音訓(23)、宇治間(うぢま)山、音音訓(75)、雲根火(うねび)音訓訓(13)、許湍(こせ)、音訓(54)、佐田(さだ)乃岡(179)音訓、和多豆(にきたづ)訓音音(131)、耳我(みみが)嶺?(25)、訓音、耳我(みみが)山?(26)、和射見(わざみ)我原(199)音音訓、
●その他、
明日香(あすか)(78、162、194、196、196、197、198、199)河・乃河・川、嗚呼見(あみ)乃浦(40)、去来見(いざみ)乃山(44)、百濟(くだら)之原(199)、樂浪(ささなみ)(29、30、32、33、218)、神樂浪(ささなみ)(154、206)、將見圓(みもろ)山(94)、倭(やまと)(29、35、64、70、71、73、105)、日本(やまと)(52、63)、

2279、一通りみただけなので、微妙なままのがあるが、やはり、訓のみが多く、ついで音のみ、となり、音訓混用は少ないが、それでもいくらかはある。その他というの所謂義訓のようなものだが、あすか、ささなみ、やまと、は有名なだけに何度も出る。訓のみ、81(66.4%)。音のみ、25(20.5%)。音訓混用、9(7.4%)。その他、7(5.7%)。合計122。その他を訓のみに入れると、72%になる。
訓のみは、だいたい正字が多いが、まずちょっと問題になるのが、「香来山」、音のみの方で、「香具山」、「高山」を出したのだが、これだと、同じ「香(か)」なのに、音訓どちらにもなっている。時代別の仮名一覧表で見ても、音訓どちらでも出している。音の方では「カ・カグ」とあるのは「香山」で「かぐやま」というのがあるからだろう(11-2449)。「香来山」の「香」を音だとすると、音訓混用になり、「香具山」の「香」を訓だとすると、訓音混用になる。紛らわしい。「香来山」の表記について、新編全集、新大系、釋注は一切触れない。山田講義に「「來」は「ク」の假名に用ゐたるなり。」とあるが、仮名ということは、正字ではないということなのだろうか。とすれば、「香」は音仮名なのだろうか。地名だから意味はなくてもいいようなものの、「香来山」とあれば、「香りが来る山」というイメージがわく。「香具山」にしても、香、具ともに音仮名とも言えるが、「香りが具わる山」とも取れる。といって大量の注釈書をしらみつぶしに見るのも辛い。もう少しだけ見てみよう。
香来山(28、199)について、沢瀉注釈は一切触れず。
香具山(2、52)について、沢瀉注釈、新編全集、新大系、山田講義は一切触れず。
高山(13、14)について、山田講義は、普通に考えれば「高」はkaoで、「かぐ」の音は出てこないが、美夫君志のいうように古代には、「かぐ」が出て来るような音だったのだろうとする。新編全集、新大系は一切触れず。沢瀉注釈は、講義と同じく美夫君志を引用して、一応「高(カウ)」は「香(カウ)」とは音が違うが、古くは「香」と同じく「カグ」と読めるような音だったのだろうとし、更に古典大系を引用して「カウ」は呉音以後で、漢魏ではgの音を持っており、「カグ」と読めるとする。上古音のgが中古音でuになる例は少なくないとする。これで「高山」を「カグヤマ」と読むのは落着だろうが、香来山はどうなのか。香が「カグ」と読めるのなら、「香具山」の「具」は「カグ」の「グ」を明示させるための捨て仮名的なものとも言えるから、この「香」は音だということがほぼ決まる。
「香来山」はどうなんだろう。時代別では、「かおり。におい。主として植物の香…。…梅や橘などがある。」とし、「芳来山(カグヤマ)」(257)の例を挙げている。ということは、「香来山」も香りが来る山という正字の意味を持たせた表記と言える。つまり訓のみである。しかし、あの山が現実に香るわけではないだろうし、また、梅や橘がたくさん植えてあったということもなさそうだ。当時梅は貴族の庭園に辛うじてある程度で、山に梅林をなすほども植えるわけがないし、集中の鴨君足人の歌(257-260)で見ても、松、桙杉、桜を歌っているが、梅は歌わない。橘も大和に自生するものではなく、庭園などに植えられるもので、香具山にたくさんあったはずはない。ということは、要するに詩的なイメージを持たせた好字ということになる(カグヤマの語原は不明である)。だいたい中国は香を好む文化であって、藝文類聚巻七十に「香爐」があり、純金、純銀のものが出ている。韓国百済の故地扶餘の博物館にある韓国の国宝、金銅大香爐も50㌢以上はある精巧なものである(実見した)。また同じく類聚の巻八十一薬香草部にはいろいろの香草が出ており、代表的な「蘭」には項目を立て、君子の徳の象徴とも言っている。要するに、中国風の命名であり、「高山」を「カグヤマ」と読ませたのもその一斑であろう。畝傍山耳成山の国風なのとは違う。藤原京の一画にあって中国風のイメージを持たせたのであろう。