2223~2229

2224、
梶川を読む。越前への旅の歌以降はひとまろから継承したような語句がほとんど見られない(人麻呂離れ)という。私が見てきたのとはちょっと違う。
2225、
12日間何も書かなかった。その間梶川を最初から読んだ。
だいたい語句や表現には人麻呂の影響が大きいが、時代の変化と個性によって、その主題は金村らしいものになっている。越路望郷歌群は金村第三期のもので、完全に人麻呂の影響から抜け出している。
といったような内容だった。頁数は相当なものだが、雑音的なものが多く、それほど深く思考したものでもない。それに私見では越路望郷歌群でも長歌の方は、そこまでの長歌と同じく人麻呂の語句や表現が影響している。
2226、
萬葉集研究第二十七集、稲岡耕二編、塙書房、2005.6.30
吉野離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首
        ――養老七年夏五月――    岡内 弘子
語句の用例を色々調べて、歌の主題を見極めるという方法だが、特に「たぎつ」が詳しい。すでに公開された自分の論文を再掲しているからである。全体に民俗的な発想が目立つのは、用例だけでは主題がつかみにくいからだろう。結局、金村の吉野歌は最高の讃歌だと結論する。通説の逆を言っただけという感じもする。梶川のは引用しているから読んでいるはずだが、伝統的な讃歌性を重く見ない梶川説については言及する所がない。
2227、
萬葉220号 2015.7
  笠金村の神亀二年難波行幸
       ――「旅にはあれども」を手がかりに――
                     小田芳寿
岡内という人と同じようなことをいっている。坂本信幸氏の書き方とそっくりで、名前を変えても違和感がない。大量の用例をだし、語句の意味を穿鑿するのも同じ。おそらく坂本氏が指導したのだろう。岡内氏と同じで、こっちは吉野ではなく、難波行幸歌だが、通説と違って行幸讃歌そのものだというだけ。梶川説の反対だ。岡内氏は梶川論文への言及があったが、こっちは名前すら出さない。片言隻句と用例を手がかりに、作品全体の評価を替えるというのは、やや強引。このあたりも坂本氏に似ている。梶川説を全面的に支持するわけではないが、岡内氏も小田氏も説得力がない。
2228、
セミナー万葉の歌人と作品、第六巻、金村千年福麻呂、2000.12.25
金村の旅の歌 斎藤安輝
「ますらお」と旅の歌を結びつけて、金村の越路歌郡をなぞっただけのもの。これも、紀要(園田語文)に載せたような羈旅歌の特徴(旅先の作者と家に留まる作者)を論じたものを下敷きにしてまとめたもので、いままで読んだ中では一番軽い。
2229、
萬葉論集 第二 、清水克彦、桜楓社、  1980.5.5 
笠金村論、初出、1972年。
養老の吉野讃歌、初出、1974年。
後者は、金村と同程度の分量で、千年も論じている。要するに、人麻呂の挽歌や宮廷歌人としての作歌から、大きく影響されながら、金村独特の主題に変化していることを論じている。その変化は、私的な性格や女性に対する享楽的な精神の現れたものとなっているということである。前者の方が纏まりよくさすがにこの筆者ならではの濃度で読み応えがある。梶川を初めとする金村関係の論文は、おおかたこの清水の論文を出発点としていて、それを細部で深化させ、微調整を加えたといったものである。
ただし清水の場合、越路歌群への言及はほとんどなく、当然、手結我(之)浦への地理的な言及もない。