2147~2149

2147、
青根が峯からあと、「~が~」は少ないながら、以下のものがある(2068参照)。
かほやがぬま(3416)、野嶋我さき(3606)、野嶋我埼(250一本)、田結我浦(366)、まつがうら(3552)、むらじがいそ(4338)、手結之浦(367)、妹之嶋(1199)、淺茅之原(3196)
読みに問題があるもの、普通名詞の可能性がるものを含んでいる。それにしても、水辺や海岸が目立つのに気付かされる。
2148、
水辺や海岸が目立つと言うより、そういうのは圧倒的に「~の~」または、「の」も「が」もないのに、なぜこれらが例外なのかという方が正しい。
14-3416、伊藤釋注、◇可保夜が沼 所在未詳。「が」の助詞で上下を繋いで呼んだのは、「なでしこが花」(17四〇〇八)の「こ」(子)と「が」の類と同じく、「可保」に女性の顔を想い見たからか。「いはゐつら」栽培の地としてとくに親しまれていたのであろう。三三七八、◇於保屋が原 埼玉県入間郡越生町大谷あたりかという(『代匠記』)。「~が原」といったのは、「いはゐつら」栽培の地として親しまれていたからか。
さすがに伊藤博だが、栽培地として親しまれていたらなぜ「が」なのかの説明がない。3416前後で、伊香保の沼(3415)、伊奈良の沼(3417)とあるのに、なぜ「可保夜が沼」だけ「が」なのか。伊藤の言うようなことなのだろうか。
2149、
伊藤は、女の顔を連想して「が」になったかと言ったが、「なでしこが花」の例を出していたように、「子」といった身近な人間に「が」が付くのであって(以前池上論文などを見たときあった)、「顔」に「が」が付くというのは普通ではない。またすぐ前の「伊香保の沼」にも「かほ」があるのに、こちらは「の」である。それに、ただの「かほ」ではなく「かほや」であった。阿蘇新大系、新編全集は「が」については完全無視。新編全集では訳文が「可保夜の沼」となって、「が」を「の」にかえている。所在地未詳が多く、なぜ「の」「が」が混在するのか分かりにくい。「かほやが沼」の場合「いわゐつら」という植物に特徴があって、特に狭い範囲の人達に使われて「が」になったのかも知れない。「あのかほやが沼」といった感じである。そういうのが他の普通の「~の沼」と並ぶと、その事情が不明になり、よく分からないままに「~の沼」と同じように鑑賞されるのだろう。