2068、
「~の~」の多さに比べて「~が~」が非常に少ないのは明らかである。万葉集では18例だったが、同一地名のもの、普通名詞の可能性が高いもの、「の」と読める可能性のあるものを除けば、
藤井我原(52)、和射見我原(199)、おほやがはら(3378)、
由槻我高(1087)、弓月高(1088)、弓月我高(1816)、吉志美我高嶺(385)、青根我峯(1120)、
飛火賀※[山+鬼](をか)(1047)、
かほやがぬま(3416)、
野嶋我さき(3606)、野嶋我埼(250一本)、
田結我浦(366)、まつがうら(3552)、
むらじがいそ(4338)
の12例と
手結之浦(367)、妹之嶋(1199)、
淺茅之原(3196)(普通名詞か)
となる。12例では、「が」を「我」と表記したのが目立つ。東歌を除けば、1088の読み添えと1047の「賀」だけである。そしてその「我」のあるのは、人麻呂関係及び人麻呂類似作がほとんどで、違うのは366、385、1120だけである。「ぬま」「うら」「いそ」など、水に関するものは、ほぼすべて「の」だったのが、ここに「が」があるのは東歌だけだが、人麻呂に「が」が多いのを含めて、時代の古さを示すようでもある。そういえば「原」にしても普通は「~の原」だが、人麻呂およびその類似作と東歌に「~が原」が出る。「崎」にしても、ほぼすべて「~の埼」とある中で、人麻呂だけが「~が埼」である。
367は、366に「たゆひがうら」とあるので、「之」を「が」と読むのが普通だが、「の」と読めないことはない。1199にしても、「いもがしま」ではなく「いものしま」と読んでもいいように思える。3196も「あさぢのはら」ではだめなのだろうか。