2246

2246、
國歌の胎生及び發達、五十嵐力、博文館、407頁、1円50銭、1943.08.20、国会デジタルコレクション
ずいぶん間があいたのは、この本を読んでいたから。ずいぶん有名な本なのに一度も読まなかった。書名が古めかしくて興味が湧かなかった。1943年初版なら、もう有名な万葉学者がたくさん出ているのに、ずいぶんとへんな書名だ。短歌のことを国歌などというのは珍しいし、胎生というのもまるで生物学のようだ。大した内容でもないのに、407頁というのは量が多いし、敗戦直前の出版のせいか、デジタルのせいか、印刷不鮮明で読みにくく余計時間がかかった。
閑話休題。著者が国歌というのは、575/77という、上の句と下の句で出来た短歌が、最高の形式で、歌の完成した形だという点にある。そこにいたるまでの変化の過程を記紀歌謡からたどっていったのが「胎生及び発達」ということだ。記紀歌謡のころは、2言から11言の雑多な句があったのが、試行錯誤で、5、7音の標準的な優越位ができた。それが、組み合わされていく時、5、7というのが、下が重くて安定性があり、重厚な感じがするのが好まれて定型になっていった。7、5というのもあったが、下が軽いために不安定で、軽薄な感じがするのか、はやらなかった。そして、5、7が対偶式にくり返され、そのあとを7音でしっかりと締めくくるのが主流になった。これが万葉などの所謂57調である。その組み合わせから、片歌、旋頭歌、長歌、短歌の歌体が生まれた。万葉の長歌などは、57の繰り返しが長々とつづき退屈極まる。途中で解(スタンザ)を切り、段落も入れて複式の長歌にしたのが記紀歌謡には多いが、万葉では憶良や巻13あたりにしかなく、それも問答を長歌にした程度だが、憶良の令反或情歌(800-801)は複雑な複式長歌で、このすぐれた形式が後世受け継がれなかったのは実に残念だ。57が圧倒的だった、万葉集の短歌に75の混じってくるのがあり、57/57/7、が、575/77の上の句と下の句に分けて読まれる形式が生まれ、これが、57と75の長所を兼ねたすぐれた形式なり、完成した歌となって、平安朝以後、長く和歌の主流となったと、いうものである。
だいたい推測だらけながら納得できる内容が多いが、今問題にしている、万葉の長歌の、出だしが、56…となるような、字足らずや不規則な調子のものについての言及はほとんどない。要するに、字足らずのようなのは、ちょっと調子のずれた、畸形であり、いかもの食いであって、57577ぼ定型に至る予備的なものだというのである。あるいはそのいびつなところにおもしろみがあって作ったのだろうとも言う。25番歌などを、記紀歌謡などとは比較にならないすぐれた長歌だといっているが、それは、今の研究者がほぼすべて、字足らずに読んでいる句を(「まなくそ」など)、定型に読んでいる(「ひまなくぞ」など)からで、字足らずに読んだら、記紀歌謡と同じような、乱取り調とまではいかなくとも、かなり無器用な歌になると思うのだが、そういうことは問題にしていない。とにかく、字足らずのようなものは、初期万葉の時代までで、それ以降は影をひそめ、たまに古い型を意図的に使ったのが纔にあるだけだ、ということのようだ。

奈良、和歌山の人口

奈良県2020年11月1日
奈良市 35,2908 -66 125 0.0001870(10←6)
大和高田市 6,1065 -38 19 0.0006222(8←5)
大和郡山市 8,4196 -62 -6 0.0007363(7←8)
天理市 6,4474 -64 -19 0.0009926(5←7)
橿原市 12,1625 -63 28 0.0005179(9←10)
桜井市 5,4471 -55 15 0.0010097(4←9)
五條市 2,7794 -60 -13 0.0021587(1←2)
御所市 2,4491 -38 -14 0.0015515(3←3)
生駒市 11,6221 -110 -19 0.0009464(6←4)
香芝市 7,8415 1 22 +0.0000127(12←11)
葛城市 3,7107 -3 2 0.0000808(11←12)
宇陀市 2,7910 -55 -15 0.0019706(2←1)
【市部計】 105,0677  -613 125
山添村 3213 -7 0
山辺郡計》 3213 -7 0
平群町 1,8100 -25 -1
三郷町 2,3269 -13 -10
斑鳩町 2,7349 -7 1
安堵町 7214 -11 -7
生駒郡計》 7,5932 -56 -17
川西町 8335 -5 6
三宅町 6538 4 -1
田原本町 3,0945 -36 7
磯城郡計》 4,5818 -37 12
曽爾村 1363 1 3
御杖村 1487 -1 1
《宇陀郡計》 2850 0 4
高取町 6660 -7 2
明日香村 5263 -4 0
高市郡計》 1,1923 -11 2
上牧町 2,1179 16 21
王寺町 2,3757 27 19
広陵町 3,3609 31 9
河合町 1,7001 2 18
北葛城郡計》 9,5546 76 67
吉野町 6150 -15 -3
大淀町 1,6553 -18 0
下市町 4791 -12 -4
黒滝村 557 -5 -4
天川村 1154 -1 -1
野迫川村 347 2 3
十津川村 3073 5 6
下北山村 741 -6 -3
上北山村 425 -1 0
川上村 1077 0 1
東吉野村 1440 -4 2
《吉野郡計》 3,6308 -55 -3
【郡部計】 27,1590 -90 65
【県計】 132,2267  -703 190
増えたのは、香芝、三宅、曽爾、上牧、王寺、広陵、河合、野迫川、十津川の9。これは多いが、全体としてはかなり減っている。ただし世帯数は一向に減らない。353959(和)-352908(奈)=1051。

和歌山県2020年11月1日
県計 91,3469 ▲ 586 80
市部計 71,8835 ▲ 387 93
郡部計 19,4634 ▲ 199 ▲ 13
和歌山市 35,3959 ▲ 66 61 0.0001864(9←8)
海南市 4,7965 ▲ 76 ▲ 1 0.0015844(1←4)
橋本市 6,0267 ▲ 44 9 0.0007300(5←2)
有田市 2,5932 ▲ 36 ▲ 7 0.0013882(2←3)
御坊市 2,2864 ▲ 9 27 0.0003936(8←7)
田辺市 6,9226 ▲ 52 1 0.0007511(4←6)
新宮市 2,6732 ▲ 33 ▲ 19 0.0012344(3←1)
紀の川市 5,8304 ▲ 42 10 0.0007203(6←5)
岩出市 5,3586 ▲ 29 12 0.0005411(7←9)
海草郡 8118 ▲ 6 ▲ 5
紀美野町 8118 ▲ 6 ▲ 5
伊都郡 2,2432 0 14
かつらぎ町1,5646  8 8
九度山町 3850 ▲ 4 3
高野町 2936 ▲ 4 3
有田郡 4,2948 ▲ 40 18
湯浅町 1,1099 ▲ 6 9
広川町 6621 ▲ 10 1
有田川町 2,5228 ▲ 24 8
日高郡 4,8039 ▲ 68 ▲ 19
美浜町 6853 ▲ 9 ▲ 5
日高町 7663 15 11
由良町 5157 ▲ 12 ▲ 3
印南町 7557 ▲ 1 ▲ 1
みなべ町 1,1616 ▲ 34 ▲ 18
日高川町 9193 ▲ 27 ▲ 3
西牟婁郡 3,8724 ▲ 53 ▲ 18
白浜町 2,0049 ▲ 33 ▲ 9
上富田町 1,5078 ▲ 14 ▲ 4
すさみ町 3597 ▲ 6 ▲ 5
東牟婁郡 3,4373 ▲ 32 ▲ 3
那智勝浦町1,4016  ▲ 14 ▲ 4
太地町 2798 4 2
古座川町 2465 ▲ 2 2
北山村 412 ▲ 1 ▲ 1
串本町 1,4682 ▲ 19 ▲ 2
大体いつも通り。増えたのは、かつらぎ町日高町太地町の三つ。それほど増えてはいないが、世帯数が増えている。

2245

2245、
古事記歌謡の56調。
3、八千矛の 神の命…
(10、忍坂の 大室屋に…)
11、12、みつみつし 久米の子らが…
13、神風の 伊勢の海の…
42、この蟹や 何處の蟹…
43、いざ子ども 野蒜摘みに…
49、須須許理が 醸みし御酒に…
61、63、つぎねふ 山城女の…
(83、天飛む 輕の孃子…)
91、日下部の 此方の山と…
(101、大和の この高市に…)
103、水そそく 臣の孃子…
日本書紀歌謡の56調。
8、神風の 伊勢の海の…
(9、忍坂の 大室屋に…) 
13、14、みつみつし 来目の子らが…
29、いざ吾君 五十狹宿禰
56、つのさはふ 磐之姫が…
57、つぎねふ 山代女の… 58、つぎねふ 山城女の
70、大君を 島に放(はぶ)り…
94、石(いす)の上 布留を過ぎて…
(103、眞蘇我よ 蘇我の子らは…)
126、み吉野の 吉野の鮎…
短歌またはそれに近い者が多く、長歌でも57が多く、思うほど多くはない。6音の部分が助詞で終わるものはあるが、「は」「が」「て」「の」「の」が目立ち場所の「に」は、(10、忍坂の 大室屋に…)(101、大和の この高市に…)しかなく、56ではなく、46だ。

2244

2244、
長歌の冒頭が、5757…とならず、5657…となるもの。
38、安見知之 吾大王(わがおほきみ)… 柿本人麻呂
45、八隅知之 吾大王(わがおほきみ) 高照 日之皇子(ひのみこ)… 柿本人麻呂
50、八隅知之 吾大王(わがおほきみ) 高照 日乃皇子(ひのみこ)…
52、八隅知之 和期大王(わごおほきみ) 高照 日之皇子(ひのみこ)…
199、挂文 忌之伎鴨(ゆゆしきかも)… 柿本人麻呂
207、天飛也 軽路者(かるのみちは)… 柿本人麻呂
217、秋山 下部留妹(したへるいも)… 柿本人麻呂
239、八隅知之 吾大王(わがおほきみ) 高光 吾日乃皇子乃(わがひのみこの)… 柿本人麻呂
261、八隅知之 吾大王(わがおほきみ) 高輝 日之皇子(ひのみこ)… 柿本人麻呂
420、名湯竹乃 十縁皇子(とをよるみこ)… 丹生王 
892、風雜 雨布流欲乃(あめふるよの) 雨雜 雪布流欲波(ゆきふるよは)… 山上憶良
3234、八隅知之 和期大皇(わごおほきみ) 高照 日之皇子之(ひのみこの) 聞食 御食都國(みけつくに) 神風之 伊勢乃國者(いせのくには)…以下も不定
3236、空見津 倭國(やまとのくに)…以下も不定
3245、天橋文 長雲鴨(ながくもがも) 5657577
3278、赤駒 厩立(うまやにたて) 5657575757577
(3314、次嶺経 山背道乎(やましろぢを)…)
3331、隠来之 長谷之山(はつせのやま)…
4164、知智乃實乃 父能美許等(ちちのみこと) 56… 家持
(4245、虚見都 山跡乃國(やまとのくに)… 
こうしてみると、57とならず56となるものは18例あって、かなりの用例数といえる。ほかにも、46といったのもあるが数えなかった。こういう字足らずの不定型の長歌は、記紀歌謡などの万葉より一時代前の口誦歌謡の名残で、文字表記を通して読む長歌になった万葉集では消滅していくとされている(工藤隆『日本・神話と歌の国家』勉誠出版2003年12月では、中国少数民族の歌垣の例などから、口誦の歌謡にも定型はあると言っているが、十分には論じられていない)。
確かに万葉でも古いものに多い。
柿本人麻呂、7例
丹生王、1例
山上憶良、1例
大伴家持、1例
作者不明、8例
で、圧倒的に人麻呂が多く、赤人、虫麻呂、金村などの長歌にはない。作者不明といっても、人麻呂と同時代のものや、巻13のものがすべてである。憶良、家持のような万葉後期のものは珍しいが、憶良の場合、風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波…で、5656で記紀歌謡的な疊語にちかく、家持も、知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等…で、5656となり、憶良と同じである。さらに、これは、人麻呂の、八隅知之 吾大王 高照 日之皇子…の、5654、八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃…の、5657、などとよく似た、呼びかけによる畳みかけにも近く、そういう古い長歌を真似たものと言える。憶良は記紀歌謡の影響があると言われる。そうすると、25 み吉野《よしの》の 耳我《みみが》の峰《みね》に 時《とき》なくそ 雪《ゆき》は降《ふ》りける…は、5757だが、耳我嶺爾を「耳が嶺に」と読んで、5657とするのは十分可能性がある。それに以前言ったように「我」を格助詞の「が」にすることは万葉前期には複数個の例がある。また「みみが」といった、全く意味不明の山岳名よりは、「みみ(耳)」という名の方が、イメージが湧きやすく、「耳」を名に持つ有名な山岳もあちこちにある(中国の熊耳山、韓国の馬耳山はよく知られている)。なお、25番歌のばあい、名詞による呼びかけではなく、「耳が嶺に」という、場所を示す格助詞「に」になっている。これにしても、「に」の例はないが、
207、天飛也 軽路者(かるのみちは)
892、風雜 雨布流欲乃(あめふるよの)
3314、次嶺経 山背道乎(やましろぢを)
など、呼びかけでなく、助詞になっているものがある。3314などはよく似ている。ただし「次嶺経」は「つぎねふ」だから、46で、56でないのが少し合わないが。207にしてもリズムとしては似ている。
あまとぶや、みよしのの 枕詞に対して、枕詞的な美称つきの地名
かる/の/みち/は、みみ/が/みね/に 品詞の構成が同じ

 

 

2243

2243、
如は、ほぼ「ごと」と読んでいるが、新大系、新全集、全集、大系、といった最近の有力な注釈書で「ごとく」とよんでいる。用例を見ると、
25、時無如(ときなきがごと) 間無如《まなきがごと》 26、不時如《ときじきがごと》 無間如《まなきがごと》 84、今毛見如(いまもみるごと) 129、多和良波乃如《たわらはのごと》 199、天之如《あめのごと》 207、晩去之如《くれぬるがごと》 雲隱如(くもがくるごと) 213、枝刺有如(えださせるごと) 534、今裳見如(いまもみるごと) 538、心在如(こころあるごと) 649、言下有如(ことしもあるごと) 1379、故霜有如(ゆゑしもあるごと) 1753、家如(いへのごと) 1807、入火之如(ひにいるがごと) 1933、彼毛知如(それもしるごと) 1973、今咲有如(いまさけるごと) 2351、草如(くさのごと) 2352、玉如(たまのごと) 3000、鹿猪田禁如(ししだもるごと) 3178、雲之行如(くものゆくごと) 3260、無間之如(まなきがごと) 不時之如(ときじきがごと) 3278、吾徃如(わがゆくがごと) 十六待如(ししまつがごと) 3293、無間如(まなきがごと) 不時如(ときじきがごと) 4264、床座如(とこにをるごと)
となっていて、「ごと」は29例で相当多い。出さなかったが、漢文風に「如~」で「~ごと」と読むのもある。
一方「ごとく」の方は、
213、茂如(しげきがごとく) 328、薫如(にほふがごとく) 351、跡無如(あとなきごとし) 470、如千歳(ちとせのごとく) 608、 額衝如(ぬかづくごとし) 632、 楓如(かえでのごとき)755、截燒如(たちやくごとし) 892、云之如(いへるがごとく) 933、遠我如(とほきがごとく) 長我如(ながきがごとく) 1269、三名沫如(みなわのごとし) 1367、此待鳥如(とりまつごとく) 1984、生布如(おひしくごとし) 2666、月待如(つきまつごとし) 2769、生及如(おひしくごとし) 3246、月日如(つきひのごとく) 4214、消去之如(けぬるがごとく)
で、助動詞の活用語尾のような部分に変化があって、「ごとし」「ごとき」もあるが、「ごとく」は9例、「ごと」の29例に比べると非常に少ない。それでも、「ごと」としか読めないというほどではない。新大系、新全集、全集、大系は、おそらく「まなきがごと」では字足らずなので、「まなきがごとく」と読み、7音にしたのだろう。新大系などは、できるだけ字余り字足らずをなくそうという方針があるらしい(佐竹昭広氏の影響か)。「ごと」というのは、副詞か、助動詞の語幹か、どちらかだが、いまそこまで調べる余裕はない。それに注釈書などは、そういう品詞の説明などはほとんどやらない。
なお、「如」の読みを示すための送りがな(活用語尾)のような表記をつけるものがある。
168、天見如久 196、川藻之如久 靡如久 210、茂之如久 239、天見如久 309、相見如之 466、消去之如久 477、散去如寸 3272、客宿之如久 3791、爲輕如來 3835、鬚無如之 4214、失去如久
「ごとく」「ごとし」「ごとき」である。例は少ないが、これなら「ごと」とは読めない。
なお、「ごと」にしろ「ごとく」にしろ、字足らずは「まなきがごと」だけで、他はすべて5音7音に統一されている。字足らずはよほどの根拠がない限り認めないというのなら、新大系、新全集、全集、大系のように「まなきがごとく」がいいとなる。しかし9例と29例では圧倒的だというなら、「ごと」でいいとなる。要するに決め手がないのだ。それにしても、全集と新全集、大系と新大系は新旧の差が小さい。著者は違うのに。

2242

2242、
1-25、    天皇《すめらみこと》の大御歌《おほみうた》
25 み吉野《よしの》の 耳我《みみが》の峰《みね》に 時《とき》なくそ 雪《ゆき》は降《ふ》りける 間《ま》なくそ 雨《あめ》は降《ふ》りける その雪《ゆき》の 時《とき》なきがごと その雨《あめ》の 間《ま》なきがごと 隈《くま》もおちず 思《おも》ひつつぞ来《こ》し その山道《やまみち》を
これは阿蘇全歌講義の書き下しで(塙本1970年8版も全く同じ)、ほぼ現在の通説である。これでいくと、七五の繰り返しという長歌の定型からして、「間なくそ」が四音で字足らず、「間なきがごと」が六音で字足らず、「隈もおちず」が六音で字余り、「思ひつつぞ来し」が八音で字余りとなる。もっとも三つ目四つ目は母音の「お」が含まれているので字余りとはしないのかも知れない。これについて阿蘇は一言も触れていない。他の注釈書はどうだろうか。「来《こ》し」を「来る」と読む説もあるのでついでにそれも見る。
多田全解、間なきがごと。来し。
阿蘇全歌講義、間なきがごと。来し。
新大系、間なきがごとく。来し。(文庫本も同じ)
和歌大系、間なきがごと。来る。
釈注、間なきがごと。来し。
新全集、間なきがごとく。来し。
伊藤全注、間なきがごと。来し。
全訳注、間なきがごと。来し。
集成、間なきがごと。来し。
全集、間なきがごとく。来し。
注釈、間なきがごと。来る。「来る」と読むことの考証は詳しいが、音数は無言。
大系、間なきがごとく。来し。
私注、間なきがごと。来る。
佐佐木評釈、間なきがごと。来る。
窪田評釈、間なきがごと。来る。
全註釈、間なきがごと。来る。
金子評釈、間なきがごと。来る。二句目を「みかねに」と読む。5757…が、5457…となり、5657…どころではない異様なリズム。
精考、ヒマナクゾ ヒマナキガゴト モヒツヽゾコシ・オモヒツヽゾクル。「ま」が「ひま」になっている。「こし」「くる」は結論出さず。
武田総釈、間なきがごと。来る。説明も全註釈とほぼ同じ。
全釈、間なきがごと。来る。
講義、ヒマナクゾ、ヒマナキガゴト、コシ。 ヒマは古語ではないと言いきれない。
口訳、ミカネのタケに、マなきがごと、コし。
新考、マなきがごと クル クルは古義に云へる如く今ならばユクと云ふべきなり
美夫君志、ヒマナクゾ ヒマナキガゴト コシ 僻案抄にはおもひつゝぞくるとよみては、山路にての御製となるなり、結句に其山道乎《ソノヤマミチヲ》とあれば、山路の間の御製にてはなく。到り給ひて後の御製と見えたれば、來の字をこしとよむべしといへり、さることなり
近藤註疏、ミガネノタケニ。マナキガゴト。クル。
古義、ミカネノタケニ。マナキガゴト。クル。新考が引用したように、来るは行くだと詳説しているが、吉野は外(目的地)であって内(本拠地)ではない。だからやはり文字どおり来るだろう。
檜嬬手、ミガネノタケニ、ヒマナクゾ、ヒマナキガゴト、コシ、
攷證、ヒマナクソ。ヒマナキカコト。クル。
燈、ミミガネニ、ヒマナクゾ、ヒマナキガゴト、ク 万葉文庫にない 
楢の杣、ヒマ無ぞ ヒマなきが如 來る
略解、ひまなくぞ。ひまなきがごと。くる。 
万葉考、ヒマナクゾ、ヒマナキガゴト、クル、
僻案抄、ひまなくそ。ひまなきかこと。こし。
代精・代初、ミカノミネニ ヒマナクソ ヒマナキカコト クル
拾穂抄、ひまなくそ ひまなきかこと くる
管見、くまも落す思つゝそ來る其山道を、他は語注なし。
仙覚抄、読みなし。
萬葉集新講(改訂版)、ひまなくぞ ひまなきがごと 來る 来るは行くこと。
久松秀歌、まなきがごと 来し 作者不明歌との先後問題が詳しい。
評釈万葉集《選》阪下、まなきがごと 来し 作者不明歌との先後問題が詳しい。
25番歌については、読み以外のほうが問題になりまた興味も多いことから、多くの論文があるが、それは後に回して、取り敢えず音数の問題をもう少し追及する。
古くは「ひまなくそ」が多かったが、古義で「まなくそ」の読みが出て、美夫君志、講義、精考以外は、全部「まなくそ」になった。山田講義は、万葉では時間の間隔がるのを「ひま」とは言わないという主張に対して、「ひま」という言い方がなかったとはいえない、といっているが、用例の多さから見て無理だろう。古く「ひま」と読むのが多かったのは、字足らずを避けようとしたのだろう。ただし「ま」とすると、あとのほうで「まなきがごと」という字足らずが生じる。それを避けようとしたのだろうか「まなきがごとく」という読みも出ている。大系、新全集、新大系の三つだがみな最近のだ。字足らずを避けようとしたのだろうか、一言の説明もない。あとの「来」にしても「如」にしても、送りがなのようなものはないから、「ごと」か「ごとく」か決めてはない。「来」の場合、
「来る」、拾穂、抄代精・代初、万葉考、略解、楢の杣、攷證、古義、近藤註疏、新考、全釈、武田總釋、金子評釈、全註釈 窪田評釈、佐佐木評釈、私注、注釈、和歌大系、新講、。
「来し」、僻案抄、檜嬬手、美夫君志、口訳、講義、大系、全集、集成、全訳注、伊藤全注、新全集、釈注、新大系阿蘇全歌講義、多田全解、評釈万葉集《選》阪下、久松秀歌。
燈、ク 
精考、「来る」「来し」のどちらか判断保留。 
勢力が拮抗している。現在形なら、山道を来る途中での詠、過去形なら、吉野についてからの回想。意味の滑らかさという点では「来し」が有利だが、「如」を大方「ごと」と読んでいたように、「来」一字なら「来る」と読む方が表記に忠実だ。意味的には成り立たないわけではない。燈の「ク」は係り結びを無視したもので、賛同者がいない。「来」の読み以外は、音数以外の主題とかの問題がないので、ほとんど言及されない。なお、「耳我嶺」の読みも、古くはいろいろあったが、今は「みみがのみね」で落ち着き異論を出す人はいなくなった。