2275

2275、
11-2694、…一峯越 一目見之兒尓…(これは問題だ)
11-2698、…山越置代…(これもちょっと問題) 
2694▼(あしひきの) 山鳥の尾の一峰越えて 一目見たあの娘に こうも恋い焦れてよいものか
2698▼行って見て 帰って来るともう恋しくなる 浅香潟を 山のかなたに置いて 眠れないことよ
どちらも、新編全集の訳。
2694は微妙だが、鳥が峰を越えるのは普通に歌われている。それを序にはしたが、作者の場合は、峰ではなくて山を越えたことを意味するようだ。頭注では「自分自身、山一つ越えた里の娘に恋することに結び付けて詠んだ…。」としており、「峰一つ越えた」とは言っていない。新編全集は不自然な直訳が多くて、訳文だけ見ていてはよくわからない。
2698は、山を越えるという動作の意味ではなく、山越(山の向こう)という場所の意味で使い、そこに浅香潟(恋人の譬喩)を置くということだから、山を越えることの例としては出すべきではなかった。
各巻の山(山道、坂)を越える(来る、行過ぎる)ことを歌った歌の数
巻1、4、平山、隠乃山、泊瀬山、立田山
巻2、1、不破山
巻3、6、四極山、泊瀬山、勢能山、亦打山、普通名詞、棚引山、凝敷山    
巻4、3,隠之山、真土山、磐國山
巻5、1、普通名詞、百重山
巻6、4、龍田山、鳴奈流山(龍田山)、手向乃山(逢坂山)、一重山(奈良山)
巻7、3、勢能山、黒髪山乎(奈良山の部分か)、普通名詞、山(どこの山か不明)
 参考、打越来而曽、何時可越来而(文脈から日香吉野間の山とは分かるが、山越えて、なのか、峰越えて、なのか不明)、八峯越 鹿待君之(狩猟関係か)
巻8、1、草香乃山
巻9、6、信土山、立田山、名欲山、多奈妣久山(山不明)、雪零山乎(越路の山)、棚引山乎(越路の山)
 参考、打集越来(明日香吉野間の山)、山道越良武(山科の石田の小野)、吾越来壮鹿(立田山)、
巻10、2,射駒山、大坂(二上山
巻11、参考、峯行完(峯は動物が行くところ)
巻12、14、木綿間山、磐城山、越乃大山、此山岫、山道越来奴、不知山道乎 戀乍可将来、手向乃山、山越而、蒙山乎、海山超而、山道超良武、山道将越、東方重坂
巻13、4、常山越而…相坂山、楢山越而…相坂山丹、妹乃山 勢能山
巻14、4、宇須比乃夜麻乎、手兒乃欲妣左賀、手兒乃欲婢佐可、佐可故要弖
巻15、6、伊故麻山、伊故麻乃山乎、多都多能山乎、安布左可山乎、夜麻治古延牟、世伎夜麻古要弖
巻16、
巻17、3、奈良夜麻、山坂古延弖、夜麻古要奴由伎
巻18、2,夜麻尓奈久等母、也末古衣野由支
巻19、2、将落山道乎、布里之久山乎
巻20、8,多都多夜麻、宇須比乃佐可、美佐可多麻波理、見都々古要許之、山乎故要須疑、夜麻乎 古与弖伎怒加牟、古延志太尓、夜敞也麻故要弖
以上
14→巻12、8→巻20、6→巻3巻9巻15、4→巻1巻6巻13巻14、3→巻4巻7巻17、2→巻10巻18巻19、1→巻2巻5巻8、0→巻11巻16
巻12が抜群に多い。初めは正述心緒にしても寄物陳思にしても全く出てこないが、後半もかなり行ってから、山道とかただ山を越えるとか一般的な言い方をしたのが固まって出る。固有名詞も、木綿間山、磐城山、越乃大山といったもので、近畿とは違って、所在地もよく分からない遠方の物が目立つ。山や山道や坂を越えるというのが、旅の歌の型の一つになっている。次ぎに多い巻20のもよく似た傾向で、ここは防人歌にそれが集中して出ている。6回出るのが、3、9、15の奇数の巻で、固有名詞を使った万葉らしい山越えの歌(旅の歌)の標準と言える。4回出るのも似たような傾向。3回のも同様。2回の10、18、19、1回の2、5、8は、旅の歌そのものが少ない巻だ。巻11、旅の歌が少ない上に、越えるではなく、来るとか言う。巻16は旅の歌がない(乞食人のは例外的だ)。8、10は季節分類の歌で旅は関係ない。5は、16と似た傾向。17以降の4巻は、防人歌で増えたのもあるが、固有名詞も少なく、旅の歌はあることはあっても、山を越えるとか言わず、山道を行く、来る、といった、道路を意識したもので、また季節(花鳥)を歌材としたものも多く、つまり万葉後期的で、山越えの歌が少なくなったようだ。
次に、どの山を越えたかを見る。
平(奈良、常、楢、)山(夜麻)(4)
泊瀬山(2)
立田山(龍田山、多都多能山、多都多夜麻)(5)
射駒山(伊故麻山、伊故麻乃山)(3)
亦打(真土、信土)山(3)
大坂(二上山中)
草香乃山
四極山
相坂山(安布左可山)(3)
妹乃山(2)
勢能山(3)
隠乃山(名張の山)(2)
不破山
磐國山
名欲山
木綿間山
磐城山
越乃大山
宇須比乃夜麻、宇須比乃佐可(2)
手兒乃欲妣左賀(手兒乃欲婢佐可)(2)
美佐可
大和17、大和以外の畿内6、紀伊5、伊賀2、その他10
畿内紀伊、伊賀で30、その他10で、圧倒的に畿内紀伊、伊賀が多い。
なお、文脈などで間接的にどの山を越えたか分かるのもある。鳴奈流山(龍田山)、吾越来壮鹿(立田山)、手向乃山(逢坂山)、一重山(奈良山)、黒髪山乎(奈良山の部分か)、山道越良武(山科の石田の小野)、これを含めると畿内がさらに増えて、36対10となる。
また、普通名詞的な山越えを歌いながら、具体的にどの地域の山を越えたか分かるのもある。
打越来而曽、何時可越来而(文脈から日香吉野間の山とは分かるが、山越えて、なのか、峰越えて、なのか不明)、打集越来(明日香吉野間の山)、
この3例は一連の吉野遊楽の歌にある。大和平野は四囲を山に囲まれているから、東西南北どこへ行くにも山越えがあるわけで、北は奈良山、東は泊瀬山(その延長の名張の山)、西は、龍田山、生駒山、南西は真土山(その延長の、妹山、背山)で、皆知られた歌枕として詠まれており、普通名詞的に詠んでも、どの山かわかるように詠まれる。ところがなぜか、吉野へのものは3例も(25番を入れれば4例)もあるにかかわらず、他の方面のが幹線道(東海道など)にあるのに対して、天武、持統、聖武朝などに行幸が多くあったにかかわらず、僻地へ行く道であったせいか、いくつもある山越えの峠道の中でどこを通ったのかが全く分からない。だから説が分かれる。つまり、ただ山を越えてくる道としか言いようがなかったのだ。知られた、歌枕になるような、山の名も峠(坂)の名もなかった。とはいうものの、この3例をはじめ多くの山越えの歌(固有名詞が分からないのも含めて)があるなかで、嶺(峰)を越えたと歌うものはない。
みね(峰)①山頂の高く尖った所。
と『岩波古語辞典』にあるように、本来、山越えというのは、道路を歩いて、山の向こうへ行くことだから、山の頂上などを通過するわけがないのだ。何かほかの用で山頂まで登るとか、麓から眺めるとかいった時以外に歌に詠む地形ではないのである。
ということで、天武の25番歌の場合も、天武が越えた明日香吉野間の山道は、峰(嶺)ではない。ただの山道である。だから、歌の中で、「思ひつつぞ来る その山道を」と言っている。「山道」であって「嶺道」ではない。しかも、名前の分からない山(峠)だから、「その山道」としか言っていない。「耳我嶺」の山道ではない。ただの「あの山道(明日香吉野間のいわゆる龍門高取山地)」である。現在でも「芋峠」などというのは地元の人でもあまり知らない。国道の通る芦原(あしわら)峠がかろうじて一般に知られているだけである。ということで、雨や雪がしきりに降っていた耳我嶺は遠くから眺めた景色であって、それが序となって、たえず思い続けたことを引きだし、その状態で、曲がり角の多い、あの(明日香吉野間の)山道を来るというのである。名前も分からない田舎の山道を越えて来るのだから、「あの山道」というしかないのである。

参考、
八峯越 鹿待君之(狩猟関係か)
、多奈妣久山(山不明)、雪零山乎(越路の山)、棚引山乎(越路の山)
峯行完(峯は動物が行くところ)
その他、此山岫、山道越来奴、不知山道乎 戀乍可将来、手向乃山、山越而、蒙山乎、海山超而、山道超良武、山道将越、東方重坂
佐可故要弖
夜麻治古延牟、世伎夜麻古要弖
山坂古延弖、夜麻古要奴由伎
夜麻尓奈久等母、也末古衣野由支
将落山道乎、布里之久山乎
見都々古要許之、山乎故要須疑、夜麻乎 古与弖伎怒加牟、古延志太尓、夜敞也麻故要弖