2044、2045、2046、2047、2048
天智紀(古典大系日本書紀下)(朝鮮の地名は省く)
高安嶺(たかやすのたけ)
蒲生野(かまふの)、山科野(やましなのの)、匱迮野(ひさのの)
對馬嶋(つしま)、壹岐嶋(いきのしま)
天武紀上
乃樂山(ならやま2)、鹿深山(かふかのやま)、鳥籠山(とこのやま)
粟津岡(あはづのをか)
莿萩野(たらの2)、平石野(ひらしのの)
墨坂(すみさか)
津振川(つふりかは)、横河(よこかは2)、迹太川(とほかは)、犬上川(いぬかみのかは)、安河(やすのかは)、衛我河(ゑがのかは)
天武紀下
南淵山(みなぶちやま)、細川山(ほそかはやま)、龍田山(たつたのやま)、大坂山(おほさかのやま)、葛城山(かづらきのやま)
廣瀬野(ひろせの)
迹驚淵(とどろきのふち)
伊豆嶋(いづのしま3)、血鹿嶋(ちかのしま2)、多禰嶋(たねのしま3)
持統紀
御馬山(みまのやま)、都賀山(つがやま)
多武嶺(たむのみね)
書紀全巻は無理なので、天智~持統を調べた。やはり少ない。和歌ではないから当然だ。天武紀は戦争があったから増えた。川の多いのが目立つ。やはり境界として重要なものなのだろう。天武紀、島が多いが、行政地名に近い。自然地形としての島ではない。それはほかのでも言える。持統紀の御馬山は銀鉱山。都賀山は霊泉の湧くところ。それより、「の」を表記するのが一つもない。なのに「の」の読み添えは非常に多い。読み添えのないのは、
蒲生野、對馬嶋、乃樂山、莿萩野、墨坂、津振川、横河、迹太川、犬上川、南淵山、細川山、廣瀬野、都賀山
だが、なぜこれらは読み添えをせず、ほかのはするのか、基準が分からない。固有名詞として熟していたとするのだろうが、なぜそう見なすのかが分からない。

2049、
随分回り道をした。そのわりに収穫は少ない。「の」をつけるかつけないかにはっきりとした基準はないようだ(ただし万葉などの和歌文学では575の音数に影響されることが多かった)。海に関する地形地名には「の」のつくのが非常に多い。しかしそもそも万葉の山の名前への関心から始まったものだから、これもあまり参考にならない。万葉以外のでは、自然美としての地形地名はまず出てこない。そういうものは和歌文学のものだろう。といっても、平安以降になると実地とは関係のない、ただの言葉遊びになる。やはり万葉集が一番顕著だ。そろそろ、私が最初に問題にしていた「が」にもどろう。山名につく「が」である。