1966、
痛背乃河2:1 泊瀬乃川4:8 明日香乃河5:17 吉野乃河3:9 泉乃河2:5 能登瀬乃川1:1 麻都良能可波1:4 淡路乃嶋2:8 家乃嶋1:2
山以外のものも山と同じような傾向を示す。山よりも全体の数が少ないから(山54,川16)例は少ないが、大和平野が多く、しかも山と違って、平野南部(飛鳥周辺)に目立つ。しかも穴師川以外は、「~」が圧倒的に多い。北島葭江が言っていたように、山と違って川の方が生活に身近だったということもあるだろうが、飛鳥川吉野川、初瀬川などは歌枕的に非常になじまれていた結果、漢語的な一語になりやすかったとも言える。大和以外では、山と同じように平城京の隣の山城、能登瀬川は所在不明。松浦川越中二上山と同じく、旅人・憶良の九州暮らしが影響したのだろう。淡路島、家島は当時は特に瀬戸内の海旅が印象的で、都に近い、淡路島、家島はよく知れられていたようだ。それに、浦、埼などに比べて陸上的(人の居住)だ。
なお、川は平野南部(飛鳥藤原時代)、山は平野北部(奈良時代)というのは、南部の方がどちらかといえば山がちで(千㍍前後の山もある)清流が身近であったということ、北部は山が低く清流が少ないが、山の形は非情に優美で美しいということがあろう(三笠山春日山生駒山は南部では見られない優美な姿だ)。