1943、
萬葉雜記 澤瀉久孝編、晃文社、424㌻、3円、1942.10.15   
「梅が花」と「梅の花」 池上禎造
これを読むのももう何度目か。
バスのアナウンスで、京都の四條(しじょう)を「よんじょう」と呼んでる…
といった、十八番の冗談をちょっと鼻にかかった声で言っておられたのを思い出す。
今日は時間切れで、久し振りにちょっと紹介と思ったが、やはりこういう国語学者の文章は単純なことは言ってくれず、短いのに読むだけで時間切れ。しかしあらためて感心した。ふたつだけ引用。
○地名の場合に「嶽・岡・崎・原・浦」などを結ぶにも用ゐられるが、嶽や崎の如くいづれかといへば獨立性の弱まりつつあるものに多く用ゐられるやうである。山などに用ゐられないのも注意せられる。
萬葉集の東歌や防人歌に見えるある種の語形や言ひまはしが、一時代前の中央の言葉と一致することは今日略々認められてゐることかと思ふ。が〔傍線〕の用法もそれだつたのである。熟合度が強いこと即ち意味の緊密なる結合もそれでわからう。單音節語の相當多かつた時代のものなるが故に單音節語を接して殘つてゐるのでもあらう。
付記で、京都の鹿ヶ谷、双岡は昔は「ししのたに」「ならびのおか」といっていた、と、いかにも京都好きらしい話題を出されたが、この「が」は、古語復活の意識による変化だろうといわれる。万葉の場合、東歌に目立つのは、古い中央語の名残だろうとも言われる。そうかも知れない。