2332、万葉集の東西南北

2332、万葉集の東西南北
1-48、東野炎(ひむがしののにかぎろひの)…月西渡(つきかたぶきぬ)、柿本人麻呂
巻1は行幸歌が多くすぐに出そうだが、やはりこの人麻呂まで待たないと出なかった。言葉では「東(ひむがし)」だけだが、文字面では、「西」も出ている。阿騎の大野(宇陀高原)もまた、奈良盆地と同じく、東西の山が印象的なのだ。歌では東は野となっているが、それは、山から裾野に向かって広がるものである。
岩波古語辞典、
ひむがし、日の出に向いた方向。東方。

1-52、…日経乃(ひのたての)…日緯能(ひのよこの)…背友乃(そともの)…影友乃(かげともの)…
これは有名なものだが、普通に東西南北といわず、「ひのたて」を東、「ひのよこ」を西、「そとも」を北、「かげとも」を南としている。縦が東で、横が西というのは不思議な感覚だが、南北の方は、後の方とか日の当たる方とかで、実際的だ。なお、この東西南北は精確でない(ずれている)という見方があるが、実際、藤原京の真ん中に近い、飛鳥川沿いの飛騨あたりから見ると、香具山と畝傍山はだいたい左右に並んでおり、耳成山は殆ど真北にある。方位を正確にしるす今の地図で想像するのとは違う。ただし、当時の横大路や下つ道は、測量したように、東西南北に通じている。南方の吉野山は問題で、角度を25度ほど広げれば、南西方向に高野山方面が見えるが、これは吉野とは言いにくいし、やはり、北に対する南とも言いにくい。高取山ならちょうど南方でよいが、これまたどう見ても吉野の山ではない。これだけは空の彼方を想像して詠んだとするしかない。
岩波古語辞典、
ひのたて→ひのたたし、日の登る方向の意。 つまり縦の意味はないわけだ。
ひのよこ、日の没する方向。 太陽の出入りで東西を言うのなら大変分かりやすいが、それを「たて(縦)」「よこ(横)」という表現や表記で理解できるのだろうか。器用な人たちだ。古語だったのだろうか。
そとも、光の射す南に対して、その背面の意。北。
かげとも、日の光にむかう方。南。  この説明でよく分かるが、しかし、これは、或る物体の北面南面ということで、観念上の南北ということにはならない。だから藤原京のような平面の、日の当たらない方、日の当たる方、といっても意味がない。つまり具体的な意味だった語原から、転訛しているわけだ。よって前述の説明は訂正の要がある。

2-161、向南山(きたやまに)…、持統天皇。北山と書けばよいのに、不思議な表記だ。ということで読みには異説がある。

(2-167、…四方(よも)の人の…)、柿本人麻呂

2-184、東乃(ひむがしの) 多藝能御門尓…、舎人。

2-186、…東乃(ひむがしの) 大寸御門乎…、舎人。

2-199、……背友乃國之(そとものくにの)…、柿本人麻呂

3-310、東(ひむがしの) 市之殖木乃…、門部王。

巻4、5、6、無し。

7-1077、…夜渡月乎…西山邊尓(にしのやまへに)…

巻8、9、10、11、12、無し。

13-3327、…金厩(にしのうまや)…角厩(ひむがしのうまや)…

巻14、無し。

15-3776、…にしの御馬屋(みまや)の…、中臣宅守

巻16、無し。

(17-4017、東風(あゆのかぜ)【越俗語東風謂之安由乃可是也】…)、大伴家持、割り注の東風は「ひがしのかぜ」と読む

18-4106、…南吹(みなみふき) 雪消益而(ゆきげはふりて)、大伴家持

(18-4122、…四方(よも)のみちには…)、大伴家持

(19-4254、…四方(よも)の人(ひと)をも…)、大伴家持

(20-4331、…四方國(よものくに)には…)、大伴家持

(20-4360、…四方(よも)のくにより…)、大伴家持

以上。

何度か万葉集を読んだ人なら、だいたい分かるように、東西南北と言った方角の言葉は、おおかた抒情詩で成った万葉集には非常に少ない。実際全歌を読んで調べた結果が上記のようなものだった。巻三当たりまでに大方出て、あとはほとんどない。東(あづま)というのは、そのあたりにもちらほらあり、家持に至っても何度か出るが、これは東(ひがし)といった方角語ではなく、そこの国(地域)を示す固有名詞で、そこが東方にあったから、東という字を当てただけと思われるので出さなかった。
四方(よも)というのは、東西南北を意味する語だが、特にある方角を示すのでもないので、()にくくった。なお平安以降多く出てくる、東西南北のそれぞれの中間の方角――、東北、東南、北西、南西――はなぜか出てこない。とにかく、万葉人は、方角には、あまり興味を示さなかったようだ。
東――1-48、東(ひむがしの)野炎、1-52、…日経乃(ひのたての)、2-184、東乃(ひむがしの)、2-186、…東乃(ひむがしの)、3-310、東(ひむがしの)、13-3327、…角厩(ひむがしのうまや)、「ひのたて」「角」といった、やや種類の違うのもあるが、6例。
西――1-52、…日緯能(ひのよこの)7-1077、…西山邊尓(にしのやまへに)、13-3327、…金厩(にしのうまや)、15-3776、…にしの御馬屋(みまや)の…、4例
北、1-52、…背友乃(そともの)、2-161、向南山(きたやまに)、2例
南、1-52、…影友乃(かげともの)、18-4106、…南吹(みなみふき)、2例
だいたい、公共関係のものに多いが、特に、東(6例)が多く、次いで西(4例)が来、南北は各一例で、例の藤原宮の東西南北を除けば、各一例となる。持統の北山は、南に向かう、というので、南が具体的で、北は影が薄い。公共に関係ないのでは、東の野、西の山辺、北山、南(風)、だが、大伴家持の南風が注意される。射水河の雪解けによる春の増水を歌ったもので、風土の要件である気候の一つの季節的な南風を詠んだもので、越中の風土をよく捉えている。また家持には、四方が4例もあるのも注意される。うち三つは、明らかに東西南北を意味しており、地理風土の認識がかなりあったことを示す。彼は、また、あゆの風とは東風のことだとか、越中は橘が稀だ(又越中風土希有橙橘也17-3984)とかいった、風土的な関心を明かし、風土と言う言葉も使っている。「但越中風土梅花柳絮三月初咲耳(19-4238)」のところでも風土と言う言葉を使っている。これは家持以外にないことで、役人としての関心から来たのかも知れないが、彼自身、地理や風土に興味があったのだろう。

越中風土希有橙橘也17-3984
○伊藤釋注、風土 風俗と土地と。土地柄。 この説明では、橙橘、梅花柳絮、といった植物は、土地柄に含まれそうだが、あいまいである。伊藤は、どう思っているのだろうか。
新大系越中の土地がらで柑橘類はまれである。 これは語釈ではないが、「土地がら」と訳している。伊藤釋注にも「土地柄」とあった。
○新編全集、風俗・土地。ここは土地を主としていう。 土地だけで風土の意味になるのか、疑問だ。
○橋本達雄、全注巻十七、○風土 気候と土地のありさま。 ここでやっと、気候が出て、ほぼ問題のない語義になっている。
阿蘇全歌講義、武田全註釈、窪田評釈、鴻巣全釈、説明なし。
今、仮住まいで、参考書がほとんどないので、注釈類の「風土」の注はこれぐらいにする。

家持は二回も「風土」と言う語を使った。橋本氏の注釈が最適と思われるが、万葉集にある語に拘わらず、岩波古語辞典にはない。つまり漢語は古語ではないからのせないということだろう。そこで、漢典を見る。
まず最初に、「風俗習慣と地理環境等」とある。やはり風俗などが入るようだ。
次ぎに、「一地方特有の自然環境(土地、山川、気候、物産等)と風俗、習慣の総称。」とあり出典を「国語・周語上」とする。かなり詳しくなったが、ここでも、風俗が入る。
これで終わり。橋本全注では、自然環境から物産等を除き、風俗なども入れない。橋本以外の注釈では「土地柄」というのがあるが、これが、風俗、習慣と言ったことになるのだろうか。また、「土地」ともあるが、やはりこれでは不十分で、自然環境とか地理環境というように、環境という語が必要だろう。
漢典は、現代中国語にも通じるようなので、家持のような古典の例の場合、あまり信じすぎてもいけない。家持は植物の地方性のことを言っているので、土地柄、という語義も分かりやすい。橋本のは、そこに、気候を付加させたのだが、気候の観点から見た土地柄、という意味で家持は使っているようだ。
○学研漢和大辞典、その地方の気候・地形・地味などのありさま。また、土地柄。 漢語としてはこういう意味で、家持のも、これで解せる。

ただし、今、我々が、風土の万葉、つまり、風土論的に万葉を考えるのなら、現代の国語辞典を見る必要がある。
辞典類の風土
明鏡国語辞典、その土地の気候・地形・地質など、住民の生活・文化に影響を及ぼす自然環境。◇人間の思考や行動に影響を及ぼす人為的な環境のたとえにも使う。「精神的[政治的]-」。  さすがに明鏡というか、私の思うのとぴたりと一致する。ここに、土地柄とか風俗の意味はない。説明でも分かるように、風土に影響されて生じるのが、生活や文化で、ここに風俗は含まれる。
広辞苑、その土地固有の気候・地味など、自然条件。土地柄。特に、住民の気質や文化に影響を及ぼす環境に言う。  「住民の気質」というところに、やや環境決定論的な意味合いが出ている。地形、地質に言及しないところは、自然地理の比重が少ない。
日本国語大辞典、その土地の気候・地味・地勢など。その土地のありさま。  これは地理の概念(あるいは古語の意味)であって、風土(論)のそれではない。風土の場合、明鏡、広辞苑、とかにあるように、文化に影響する自然条件や環境を言う必要がある。
新明解国語辞典、(住民の生活・思考様式を決定づけるものと考えられる)その土地の気候・水質・地質・地形などの総合状態。  この説明の場合、状態は条件と言っても同じだから、それでいいようだが、( )の中の説明は、環境決定論的であり、また文化への言及もない。
大辞林、大字泉は、上記のどれかに含まれるので省略する。
○日本大百科、長いので引用しないが、オギュスタン・ベルクの風土の定義を結論とし(名前は出していないが、明らかにベルクの論である)、それに至るまでの風土の研究を、ヨーロッパや日本の二三の学者を引いて説明している。

風土についての論考は、和辻哲郎の「風土」が著名で、「万葉の風土」の著者犬養孝氏も触れたが、和辻の風土論とどうかかわるのか詳しい説明はないし、その著書の内容も、万葉地名の調査といった地理的なものや、額田王の春秋歌の美学的な分析等で、風土とはあまり関係がない。
和辻以降で、注目すべきは、オギュスタン・ベルク「風土の日本 自然と文化の通態」ちくま学芸文庫、1992年(元版1988年)、だが、風土をフランス語のmilieu(ミリュー)(環境、中間)とするように、ベルク流の独特の定義で、わかりにくい。内容もあまり系統だって居らず、気の向くままあれこれとフランス哲学流に論じている。だいたいは、日本文化論、日本人論、などでよく話題にされることを中心にしているから、自然と文化との関係とかその相互影響とかいっても、自然環境の方はあまり論究されない。和辻『風土』で論じられたのとそう変わりない。それはともかく、ベルクについてはまだまだよく分からないところもあるから、これからさらに読み込むとして、こういう風土論(文化と自然との関係)では、なかなか万葉集の研究には応用しにくい。万葉集というのは、古今集ほどにも文化性(美的な要素)を持っておらず、論じにくい。といって、気象、動植物、山川海、地理、地名、景観などをいくら調べても、果たしてどの程度の風土論になるのか、成果が期待できない。
ベルクなどの地理学での風土論については、一旦中断して、さらに勉強することにし、風土から見た万葉集について、私なりに考えることを追究してみたい。東西南北の方位もそのつもりだったが、入口でとまってしまった。