2310、そがひ11

2310、そがひ11
20-4472    八日讃岐守安宿王等集於出雲掾安宿奈杼麻呂之家宴歌二首
大君の命畏み於保の浦をそがひに見つつ都へ上る
              右掾安宿奈杼麻呂
出雲国府は現在の松江駅の南東約6キロ、意宇川左岸の平坦地にあり、北北東んお大橋川が中海に注ぐところまでは約3キロである。北東方向、意宇川が中海に注ぐところまででも約3キロだが、古代はもっと手前で注いでいたようだ。東出雲町の不自然な短冊形の農地を見れば埋め立て地であることが明らか。国府は平坦地にあるが、中海はよく見えただろう。ところで、窪田評釈は、この作は国府出立時に詠まれたものとするが、そうすると、大伴坂上郎女の理願挽歌に似た道程になる。国府を出て、安来、米子、鳥取への道をたどるとすると、初めは北東方向、意宇川河口方向に向かう。それは、理願の葬列が春日野方向に向かったのと同じであり、前方向こうの方に中海を見ていくのである。そうやって都へ上る道の門出となる。国府勤務中、何度も眺めた中海の佳景をよく記憶に留めようとして凝視したのであろう。それからも、安来までは、左手に中海を見ながら行くのであり、中海を後にして行くのは、その後である。作者は、安来から出立したのではない。国府から出たのだから、中海を後にして行くわけがない。まさか、国府から中海を後ろにして、南西方向、奥出雲から三次方面に行くのではあるまい。そういう地理的な条件からして、通説は誤解していると言わざるを得ない。まだ「そがひ」の用例はいくつかあるが、いままでのところ、後の方といった解釈は当てはまらない。前方の彼方である。

3391筑波禰爾 曾我比爾美由流 安之保夜麻 安志可流登我毛 左禰見延奈久爾
筑波嶺にそがひに見ゆる葦穗山悪しかるとがもさね見えなくに
次は東歌のこれを点検する。これについては、万葉158号(1996年7月)、椎名嘉郎、東歌「安之保夜麻」考、が詳しい実地踏査をしているので読んだ。まず、「~に そがひに~」という型はほかにはなく、この「に」が問題だとする。たしかにその通りで、「~ゆ そがひに」357、917、「~を そがひに」358、460、509、4011、4472、「~の そがひに」1412、3577、「~に そがひに」3391、「朝日さし そがひに」4003、「此間にして そがひに」4207、となっている。「~を」というのが4例で多い。「~ゆ」が2例。これらは、「見ゆる」「見つつ」とからめて、視点の違いと言うことで解されてきた。1412、3577は、いずれも枕詞が上接し、「見」を伴わず、比喩的な意味合いをもっている。4003は、「見ゆる」の型だから「~ゆ」があるはずなのに、それがない。視点は国庁のようなのでそれが略されたと見られる。こうしてみると、今問題にしている3391は、「見ゆる」の型だから「筑波嶺ゆそがひに見ゆる」とあるべきだとも思われる。これに似たのは、4207の「此間にして そがひに」だが、これはその項で考えよう。
ということで、筑波嶺を視点とする「~ゆ」の意味と同じだとして、筑波嶺の山頂から「そがひ(後方)」に見える足尾山という説を検討し、筑波嶺の頂上から足尾山を見た景観からして、それは無理だとする。それで、この「に」は、目的格の格助詞だとして、筑波嶺に対して、後方に位置する足尾山、ということだとする。そして、そういう見え方をする、景観を踏査して、筑波嶺の北西方向の田園から撮った写真を載せる。そしてその地方で詠まれた歌だとする。
「に」に着目したのは、卓見だ。今までは、「見ゆる」「見つつ」の違いが論じられてきた。しかし、だからといって、写真のような景観を、「筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山」といえるかどうか疑問だ。筑波嶺は写真の右端にあり、大きいけれども霞んでいる。葦穂山は正面に近いが、半分前山に隠れている。筑波嶺から葦穂山へは6キロあるので、相当離れた感じがする。こういうのは、ただ、山が横に並んでいる、横に連なっているという印象で、どちらかがどちらかの後方という感じではない。葦穂山は加波山とともに一つの山塊をなしており、わざわざ筑波嶺の後方という眺めではない。やはり、こういうように山並みを横から見たら前後とはならない。縦に並んでいるのを見て始めて、前方後方となる。後立山連峰というのは、立山側からみてそう言う。金剛山葛城山二上山は飛鳥からはただ横に並んでいるだけだが、斑鳩方面から見ると、縦に並ぶので、山が重なり、二上山が前、その後ろに葛城山、さらにその後ろに金剛山、という景観になる。「に」というところから、「~に対して」という解釈をしたのはいいが、それを、筑波嶺と葦穂山の前後関係と見るのは承服できない。

「に」の訳。
から後ろに見える、新編全集(語注で「ニは、~に於いて、の意。「ここにしてそが    ひに見ゆる」(四二〇七)のニシテに同じ。」とする)、古典全集(このニはユと同じ  意味用法。筑波山の西南方向から眺めた。西南から見たのでは「ゆ」の意味にならな  い。無茶なことを言うものだ。)
からうしろの方に見える、佐佐木評釈(説明なし)。
から背後に見える、多田全解(説明なし)、全訳注(同)。
から振り向けば見える、新潮集成(説明なし)。
から、向うに見える、折口総釈(に〔傍点〕は、筑波嶺に對して・筑波嶺から見て、など  譯すべきだ。○そがひ 後側《うしろ》或は後向き。遠くから見て、或物を距てゝそ  の後に見えるのだから、むかうと譯してよい。
からは向うに見える、折口口訳(説明なし)。

の背後に見える、阿蘇全歌講義(説明なし)。
の後ろがわに見える、和歌文学大系(説明なし)。
のうしろに見える、全注(説明なし、語注で「に対して」(注釈、私注)とする)、全註  釈(に對してその後方に)。の背面に見える、窪田評釈(「に」は、筑波根を主に立  てての言い方。「背向に見ゆる」は、背面に見えるで、「葦穂山」の位置をいってい  るものである。その山は筑波山の北方に連なる足尾山で、南を表とし、北を背として  いっているのである。)
の反対側に見える、新大系(「に」の説明なし)。

に対してうしろ側に見える、釋注(説明なし、語注で、「において」「から」の意、とし  ているのと、訳と一致しないのに、その矛盾の説明がない。それに、「において」と  「から」も同じではない。)
に対してうしろの方に見える、沢瀉注釈(説明なし、筑波山頂上から足尾山を見た写真が  あるのは貴重)。
に対して、後方に離れて見える、私注(説明なし)。

に背中合せに見える、松岡論究(説明なし)。

序詞と見なして訳なし、大系(説明なし)、全釈(語注で「の後方に見える」とするが、  「に」の説明なし)。新考(ツクバネニのニはユにかよふニなり。)古義(説明なし)。  略解(訳も説明もなし)。考(訳も説明もなし)。

譬喩と見なして訳なし、童蒙抄(ま向ひには見えず。脇樣に見ゆるなるべし。それに思ふ人と我が中との事を喩へて、そがひに見ゆるあしほの山の如く、そむきなして親しからぬは、)

いもせの山のやうにさしむかはすして、そむきてみゆれは、代匠記初(精も同内容)。拾  穂抄、仙覺註釋はほぼ同じ。

椎名氏の論文を読んだ時、「筑波嶺に対して」の「対して」という見方に卓見だと言ったが、注釈書を見ていくと、釈注、沢瀉注釈、私注、折口総釈の語注、全註釈の語注、もそうなっている。釋注は椎名説を受けたのだろうが、沢瀉注釈、私注、折口、全註釈は、遥かに古いから、椎名説の卓見でも何でもなかった。それを見ない(言及しない)椎名説の方がどうかしている。それ以外では「から」と訳すのが多い。「に」という助詞がなぜ「から」と訳せるのか、古典全集などは、この「に」は「ゆ」と同じと言うが、なぜそうなるのかわからない。新編も「に於いて(ニシテ)」と同じというが、これも説明がない。だいたい同じ意味だろうが、それは文脈理解というもので、助詞の正確な意味としては、全く同じとは言えないだろう。「の」と訳すのもある。結局、意味的には、「に対して」「から」「の」訳し分けには大した差が無く、「~ゆそがひに見ゆる」と同じ型の歌と見て、「筑波嶺から見える」としているのだろう。しかし、「ゆ」  ではなくて「に」にしたのには、窪田評釈の言うような意味合いがあるだろう。「「葦穂山」の位置をいっているものである。」とある位置である。窪田は「ゆ」との違いを言わないが(或いは同じとみなすか)、「ゆ」だと、位置といった客観的なものでなく、「見える」という状態に意味がある。つまり見えるものが主となる。「に」は見る方(場所)に主がある。見る方との位置関係を説明しているだけである。
訳し方はいろいろでも、だいたい、皆、筑波嶺の頂上から見たような意味に取っている。沢瀉注釈の写真なども、筑波嶺の頂上から北方をみたものである。しかし、なぜかはっきり頂上からと説明したものはない。だから、「に対して」というのは、頂上からみた位置関係ではなく、麓から見たものだとする説も出て来る。そこをついたのが、椎名論文の発見というわけだが、それが成り立たないことはすでに述べた。古典全集は、西南方向(西南の麓ということだろう)から見たというが、「筑波嶺の麓から」筑波嶺の向こう側をみるなどというのは荒唐無稽である。一歩譲っても、椎名論文のいうように、西南方向からは足尾山は見えないだろう。やはり、頂上からとするしかない。頂上からに「そがひ」に見るの解釈としては、折口総釈が一番すぐれている。ただし、頂上から見るのだから、筑波嶺の背後に見えると言うのは当たらない。「から、向うに見える」という訳は折口だけだが、これが正解と思われる。
それにしても「に」という格助詞はどういう意味なのか。時代別を見ると、いろんな意味が出て来て、どれにすればよいのか悩むし、「筑波嶺にそがひに見ゆる」に似たような用例も見当たらない。基本的に「文中にあって、体言…につき、場所・時間や対象をあらわす。」という意味だが、今の場合「対象」と言うことなのだろうか。つまり「筑波嶺に対してそがひに見える」。「から」「の」と訳しても、似たような意味になるのだろう。
地図
地図を見ても、これといった発見もない。筑波山頂からは北東への尾根続きだが、葦穂山の方が250メートル程低く、6キロ以上は離れているし、手前に同じような峰もあるので、目立つ山ではない。わざわざ筑波山頂に立って、遠く彼方に見える葦穂山と指定するような名山ではない。常陸国府のあった石岡市から見ると正面に足尾山、左に筑波山、右に加波山と並んでいて、三山では一番低いが、葦穂山が目立つ。国府あたりの人が、筑波山の山頂から、遥か彼方に葦穂山を見付けて、なつかしがって、わざわざ詠んだというところだろうか。現地を全く知らないので、実感が湧かないのは残念だ。